どの世界にも、やたらと人のことを知りたがる人はいます。お金のこと、人付き合いのこと、恋人や家族のこと、それこそどーだっていいじゃないか!ということまで、知りたがる。
私は理系畑で、バリバリの職人さんみたいな上司だったにもかかわらず、プライベートに興味を示されて、閉口したことがありました。と同時に、業務に無関係なことまで人は知りたがるんだなといういやらしさをも感じたものです。
人から「知りたがり」は取りきれないのでしょうか。なにゆえそんなに知りたがるのでしょうか。
そこには、知りたいの奥に隠されたとんでもない欲が隠れていたのです。
知りたがる内容が指し示すもの
何かを知りたがるのは、当然ことではないか?と思われるかも知れないが、人の給与や財産状況、恋人や家族の有無は気になっても、今日の排便の様子や最近ムカついたこと、今夢中になってることを知りたがる人には、あまりいない。
知りたがることにはある傾向があり、それ以外のことは聞きたくもないし、聞くことそのものが面倒くさい。情報は、珠玉とクズに分かれるということです。
では、なにが珠玉かを考えてみると、その情報を知りたくて仕方ない、という欲があるかどうかです。なにかこう知りたくて仕方ない気持ちがムズムズするというのが、珠玉に分類されるのでしょう。
知りたい人が取り憑かれてる欲
気持ちがムズムズするということは、その情報を知ることで自分に「利」があるということです。その「利」を手にすると、有利な立場になれる、勝負に勝てるといったなにかを手に出来るのでしょう。
見方を変えれば、その人は、有利な立場になりたくて仕方ない、勝負に勝ちたくて仕方ない、ということです。すなわち、人間関係に上下を付けたがっている。
人は人、自分は自分ときちんと分けられている人は、上下関係に拘ったりはしません。人より上に立ってこその自分、人を踏み台にしてこその自分と思う人だけが、そのような関係に固執します。
知りたい人は、人より上の地位が喉から手がでるほど欲しいんですね。
人の本意を見抜け
欲しくてたまらない地位、それを手にすることによって、何者に変われるというのでしょうか。
実はこれが問題のキモです。地位を手にしたい者は、人として大切な基礎を欠いています。それが、自信です。自信がないから、探りを入れて、自分が強い立場になれそうなネタをかき集めているのが、根掘り葉掘りという行動。
相手が自分より格下とわかったら、さげすみ、格上とわかったら同じ境遇の人と徒党を組んで、いい気になるなよと牽制する。そうやって、なんとか自分の地位を確立し、自信のなさを補いたいのです。
こう考えると、執拗に迫ってきていた根掘り葉掘りの攻撃が、とてもちっぽけなものに思えてきませんか?
知りたがりを避けるために
知りたがりの一番忌み嫌うものは、自信のなさをあぶり出されることです。根掘り葉掘りは弱さを隠すための隠れ蓑。だから隠れ蓑をとってやれば、相手はそれ以上仕掛けてくることはできません。
だから、なぜそんなに聞きたがるのかにメスをいれるのです。本当は自分が上って確認したいが為に情報を引き出そうとしているんでしょう、と迫るのです。そうやって蓑を剥がします。するといやがおうでも本心が露出せざるをえなくなります。
質問というのは、本音を表す一端です。質問そのものには意味がありませんが、そのように質問しようと思った心情背景には強い意味があります。根掘り葉掘りを避けるには、心情背景に斬り込むのが効果的です。質問すればするほど、弱い本体がむき出しにされるのであれば、おいそれとは訊けなくなってしまうでしょうから。
いやらしさを伴う強い欲には必ず魂胆が隠れています。その魂胆を表に引きずり出してやると、相手は自分の狡猾さに思わず赤面してしまいます。本当は根掘り葉掘り聞くことは、卑しく、みずぼらしいことなんです。
訊かれっぱなしのあなた、どうか負けないで。問題を抱えているのは相手の方です。あなたはただ、正しく攻撃仕返せばいい、相手の問題は相手の懐に返してあげましょう。