年下になめられたくない、友達にバカにされたくない、といきがってるあなた。肩に力入りすぎていませんか?
たぶんね、なめられて惨めな経験をしたことがあるんでしょう。バカにされて悔しさでいっぱいになったことがあるんでしょう。心をえぐり取られた経験が、「もう二度とごめんだ」に繋がって、なめられたくない、バカにされたくないと思うようになったんですよね。
わかります。ずっと下に見られているのって、ほんと情けないし消えちゃいたくなりますもん。
とくに慕われたり、持ち上げられてる友達を見ると、「私ってなんだろう…」と思っちゃいますもん。
でもね、
そう思ったからといって人気者になれるわけじゃない。明日も明後日も今までどおりなんです。
だから何をどう変えたらいいか、考えていきましょう。どうやったら、せめてなめられず、バカにされずにいられるんでしょうか?
意識の矛先
なめられたくない、と思っているとき、あなたの意識はどっちを向いてるでしょう?
「他人から見た私」、どう見られているか、どう思われているか、に気を取られている。
では、相手を意識するのはどういうときか?相手がスーパーウルトラ技をやってのけたときです。とんでもない芸をやって見せた、絶妙なタイミングでなにかをやり遂げた、そんなとき自分を含む大勢がヒーローに目を奪われます。
ヒーローをうらやむ私は、そうなりたいと強く願い、ヒーローの真似ごとにいそしみます。でも、しょせん泥の中のカエル、トンボにはなれません。
だったら意識を変えてみましょう。泥の中のカエルとしてプロフェッショナルになればいい。
人生で得た教訓
ある程度生きてると、世の中はそう単純ではないことに気がつきます。すべてを兼ね備えたヒーローとして生まれた人でも、晩年寂しく逝くこともあるし、なにも持たない悲惨な生まれでも、逆転ホームランを打つこともある。
その違いは、等身大の自分の受け入れにあると思います。もっと言えば、自分に対する「愛」。
「愛」は、ありのままを認めること、です。自分に対する「愛」は、自分が泥の中のカエルだと認めること。そうすると、なめてかかってくる人に腹が立ちません。身構えずいられます。
すると、なめてかかってくる人のありのままを受け入れる余裕ができます。頭の中に「なんでこの人はこんなにもなめてかかってくるんだろう?」という考えが浮かんできます。
それが「あなたどうしたんですか?」という言葉となって現れるのです。
そう言われるまで、なめてかかってくる人は「自分がなんとしても優位にたたねば」という意識があることに気づいていません。そこへ来ての、「どうしたんですか?」は、見えないところからカウンターパンチを食らわされたような衝撃です。
形勢は一気に逆転、相手のなめてかかる勢いは失われ、なめられたらどうしようというあなたの不安も消え去ることでしょう。
どうです?ヒーローなんて目指さなくても、なめられずにいられるでしょう?
真の実力者とは?
世の中で圧倒的に不足しているものにこそ、価値がある、と私は思います。そして不足しているもののトップが「愛」です。自分への「愛」、他者への「愛」。「愛の輪」がとてもつもなく足りてません。
反対に、分かって欲しい、認めて欲しい、受け止めて欲しい、といった欲はあふれかえっています。
このバランスを均衡に近づけられる人が、真の実力者です。
自らが旗振り役となって、欲を成仏させてみましょう。それは話を聞いてあげること、とは違います。賛同すること、とも違います。相手の意識していない意識に気づかせてあげることです。
そのためにもまず、自分が泥の中のカエルだ、という当たり前を受け入ることです。自分を「愛」しましょう。そうすれば、強くなれる。誰かの言葉に傷つかずにいられる。
あなたは、あなたの手で作られるべきなのです。