意図せず我が子や孫の命を奪ってしまったときにどうすればいいのか?

祖父母が飼っていた犬が孫にかみついて死亡させてしまった
母親が上の子を幼稚園に送ろうと車を出したら、下の子を轢いてしまった

そういう痛々しい事件を耳にする度、心が痛みます。

そして何より、加害者になってしまった関係者のことを思うと、なんとも言えぬ気持ちになります。

けして痛い目に遭わせたいわけではなかった、むしろ世の中の災難から護ってやりたかった、なのに…。

後悔の思いは、果てることなく押し寄せてくることでしょう。そんなときどうしたらいいのでしょうか。

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先人に学ぶ

人が死に至るとき、傍にいた人にはなんらかの後悔が生まれます。もっとこうしてあげればよかった。ああしてあげればよかった。

接し方に正解なんてありません。そして未来を正確に予想することなどできません。それでもなお、善良な人であればあるほど、深い後悔が襲ってくるのです。

そんな後悔の行く末はどこか、を考えたとき、先人の教えが頼りになります。

うろ覚えで申し訳ないのですが、斎藤孝先生のネット断ちという本の中に、心の拠り所、精神の突破口をどこに見いだすか、といった記述がありました。

プロボクサーの村田涼太さんは辛い時期のメンタルを整えるのに、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を拠り所にした。とてつもない哀しみに落ちた人は、親鸞の教えを頼りに道を切り開いた。

そうやって、極限の中で先人が到達した悟りを道しるべとして、普通の人はおおよそ通らないような過酷な運命を生き抜いている人々を、書籍の中に紹介しています。

題名と悩みは無関係に見えますが、一度読んでみてください。きっと力になってくれることでしょう。

ネット断ち (青春新書インテリジェンス)

ネット断ち (青春新書インテリジェンス)

諦めず専門家を探す

人に相談する場合は、やはり相手の知性が重要です。親しい人や友人では、この問題は荷が重すぎます。ですから、専門家を頼ることになるのですが、人選は重要です。

主観を排し、ただひたすらに聞き入り、核心を突く問いを投げかける高度な専門家でなければ、頼ったことを後悔することになります。

周りに相談するのなら、どうしたらいいか?ではなく、いい専門家を知らないか?と尋ねる方がよいと思います。

6人に繋がれば、世界の誰にでもアクセスできるといいますから、尋ね続けることです。

探せば、たとえ世界に数人しかいなくとも、いつかは適任者が見つかる。諦めないことです。

事実に身をさらす覚悟

不幸な事故はできれば起こって欲しくないものです。けれども、現実にあるのは、事故が起きたという事実。その事実がある以上、せめて事故が起きた意味を考えるのが、償う手立てではないでしょうか。

無駄な経験など何一つない、という言葉を信じて、事故から何をすくい取るのか。同じ悲劇が起こらぬ対策なのか、事故という足枷を背負い生きる精神の強さなのか、それは考えた者しか分かりません。

その考える行為に身をさらすとき、はじめて自分の置かれた景色を客観的に見ることができます。反対に、考えから身を遠ざけてしまえば、終生変わることなく、幼い魂が心の中を彷徨うこととなるでしょう。

最後に、
人々は好き勝手いいます。どうか周りの声に潰されないでください。

これは、亡くなったあの子とあなたの問題です。そしてあなたの人生に突きつけられた最高難度の問題です。よくよく自分の中の自分と話し合ってください。