学生時代、めっちゃ人気があったわけでも、目を引く容姿だったわけでもない私。今更、昔の集まりに参加しても、誰が覚えててくれるやら…。
と思い悩むことありませんか?
私に対するみなさんの記憶がないんじゃないか、というのを目の当たりにするのが怖い。
そうですよね。「誰アンタ?」とか言われるのを想像すると、キャーーー。
大丈夫です。それあなただけじゃないですから。
でもずっとその恐怖に怯えてるのもなんなんで、ちょっとは克服できないか、考えてみます。お付き合いください。
なぜ怖いのか?
自分の中に、おどおどした自分っていませんか? なんとなく私って嫌われてないかなとか、疎まれてないかな、といった不安が先だって、イマイチ自信がもてない。
どんなときも自分は受け入れられるんだ!と強く信じていられる人、マジうらやましいです。でも、そう見えるだけで、本当は「自分は受け入れられるんだ!」とか思ってないのかもしれません。
そもそも受け入れられたいとすら思ってないかも。こうされたい!と思うから、こうされなかったときが恐ろしいのであって、こうされないでしょ!と思っていて、こうされたときは、ラッキーって思える。だったら、こうされたい!を無くしちまえばよくね?とか思うのです。
つまり、怖い理由は、「こうされたい!」って気持ちがあるから。
人の記憶に刻まれるには
じゃあ、「こうされたい!」って気持ちとバイバイしましょ。では、実際どうするか。
結果を手放せばいいんです。覚えてくれてるというのは、あくまでも結果です。テストで100点という結果はとれなくても、100点取れるように勉強することはできるように、覚えてくれてる確証は手に入れられないけど、一緒にいる時間を思い出深いものにすることだったらできる。
プロセスにテコ入れする、ということです。その人と過ごす「今」を大切にする。そのために自分から相手に何ができるか、考えていくことです。
私達は、誰かと一緒にいるとき、誰を見ているでしょう?
実は相手を見ているようで、自分を見ていることがほとんど。私がどう思われてるか、私を認めてくれてるか、そんなのばっか考えてます。
肝心の相手がどう感じてるか、どうして欲しがってるかって、見てないんですね。だから上辺だけの付き合いに終始しちゃってる。一緒に勉強したり、放課後ツルんだりはしていたけど、それは単に時間を共有していただけ。心までは共有してないんですね。
人は心の動いたその瞬間を深く刻みます。ツルむ体験だけでは、心に刻むほどのインパクトはありません。もちろん、若いとき一緒にいたという経験から、覚えてなくはないんですけどね。
もし、私を覚えてて欲しい、これから出逢う人は私っていう人を記憶してて欲しい、って思うなら、見る方向をひっくり返して相手にしましょう。こちらから相手に関心を向けていきましょう。
上手く向けられれば、心と心が共鳴します。その経験が後々まで残って、あなたのことを生涯忘れることはないでしょう。