アンタの言葉、キッついねー。
言い方に角がありすぎ。
なんか怖い。
そう言われると傷つきますよね。
釘を刺して大事になるのを防いでるつもり、愛の鞭のつもりが、暴力みたいに取られてしまう。でもちょっと工夫すれば、相手に良くなって欲しいという真摯な気持ちは伝わります。
少しだけ、向ける目線を変えてみませんか?
キツい言葉の特徴とは?
たとえば後輩の遅刻が増えたとします。心配したあなたは、「なんで遅刻するの?」と思ったままを尋ねます。これに対し、後輩はムニャムニャとそれっぽいいい訳をしてくることでしょう。
それが甘えにしか見えないあなたは、「なに勝手なこといってるの!お金もらって働いてるんだよ。時間はきっちり守りなさい」と愛の鞭を放った。それを見ていた周りが抱くあなたへの印象は「たしかに正論なんだけど、ちょっと…」。
なぜ正論なら、その通りと賛同してくれない?私を援護してくれない? そう思うはずだ。
けど相田みつをの詩にもあるとおり「にんげんだもの」弱いのである。起きようと思っても起きられないときだってある。みんなはそれが頭をよぎるから、正論に対して小さな異論を持ってしまう。
つまりキツい言葉は、正論なのだけど、人間の弱さを加味してないという点において、なんらかの異論を抱かせてしまい、マイナスな印象となって人々の心の刻まれる。
優しい言葉の特徴とは?
同じ例で考えてみる。
後輩の遅刻が増えたのを心配したあなたは、「最近眠れないこととかある?」と尋ねる。これに対し、後輩は「○○が気になってどうも寝付きが悪くなってしまって…」と答える。「じゃあ、○○をもっかい整理してみよっか!」というあなた。後輩の顔がすっ明るくなる。それを見ていた周りが抱くあなたへの印象は、「なんて後輩思いのいい先輩なんだ」。
優しい言葉は人間の弱さを加味している。みんなも内心「寝坊しちゃうことあるよな~」と思っているから、そういうダメさ加減を批難することなくいてくれると、ホッとする。
優しい言葉は、人間の弱さを加味しているおかげで、まわりの緊張も取り払い、安堵というプラスな印象となって人々の心に刻まれる。
言葉を生み出すソース
だけれども、かけた言葉に大差はない。遅刻する理由を尋ねたか、眠れない理由を尋ねたかだけだし。どっちも質問形式だし。
たしかにそうだ。ただ「遅刻」というキーワードは、先輩からみた景色であって、「眠れない」というキーワードは、当人からみた景色であるところに、違いがある。
最初から「明日は遅刻するぞー」と思って眠りにつく人などいない。ほとんどの人は「明日こそきちんと起きるぞ」と思っているわけで。でも、なんらかの理由で眠りにつくのが遅くなってしまい、うとうとしたころには明け方になっていて、気づいたら寝坊していた、というのが実情である。
ということは、本人からしたら「眠りにつけないな~」というのが実感のともなった感覚。
この感覚こそが超重要で、本人になって「眠れないな~」ってとこからスタートすると、自然と分かってあげてるポジションに身を置くこととなり、味方という位置に自らをセットすることになる。
そのなりきりがあるか、ないかが、大きく関係している。
優しいとキツいの分かれ目
その人になりきってその人を理解しようとする人が優しくて、その人の前に立ち価値感を押しつけようとする人がキツい人。キツいか優しいかは、その人のそのまんま受け入れるかどうかにかかっている。
これは、自堕落な相手をまんま受け入れましょうね、ということではなく、その人の中に眠る誠実でいたいけどいられない原因を取り除いて元の姿にもどしてあげましょうね、という意味である。
人間はみな、成長したいし、人の力になりたいと思っている。でも思わぬところで邪魔され、ゆがめられ、こんがらがっている。そのこんがらがりをほどき、私からどうにかしてやろうという目線に切り替えられたとき、私達は人を信じる優しい一歩を踏み出せる。