私の彼、言うこと聞いてくれて、思うままにさせてくれる。本当にやさしい。
でも胸にチクリと刺さるなにか。やさしい、やさしい、けどね…。言葉に出来ない違和感、どこかフワフワした所在のなさ、そういうものが渦巻いて、今ひとつ「愛されてる」感じがしない。
なぜなんだろう?
やさしいと考える理由
私が彼をやさしいと思うのは、いつも私のしたいことに「いいよ」と言ってくれるから。すっごく大切にされてる気がする。尊重してくれてる気がする。一緒にいると、イヤな思いをすることもなくて、全然疲れない。元彼のように繕った私じゃなくて、素のままの、ちょっとダラしない自分でもOKな気楽さがある。
彼はどんなときも声を荒らげない。ひたすら穏やかに私に寄り添う。
こんな心地の良い関係はじめて。
彼は私を邪魔しない唯一の人。
メッキが剥がれるとき
でもある日、困ったことが起きた。そんなとき、彼に助けを求めたら、「キミの好きなようにやればいい」と返された。助けを求めてるのに、返されるのは「いいよ」という許可。頼もしく守ってくれることを期待したのに、なんだかなぁ。
心にずーんと広がる捨てられた感。
あれ?彼といたはずなのに、判断は私一人でするの?二人でいるのに、一人で対処する心細さ。心地よいあの関係は、どこへ行った?
穏やかな日は少しずつ音を立てて崩れていく。
彼の本質
よく考えれば、彼は私に何も言ってはくれなかった。彼が口にしてたのは、ただひたすら「いいよ」ってだけ。その「いいよ」って、それ【が】いい、じゃなくて、もしかして、それ【でも】いいってこと?
彼にとってはどうでもいい問題で、単に人任せにしてたってだけ?
そう考えると、私のしたことに全部「いいよ」と言ってたのに納得がいく。彼はなにも考えてなかったから、結果として「いいよ」になっただけ。考えなかったから、全部が「いいよ」になっちゃっただけ。…単にぼーっとしてたってことだね。
本当のやさしさとは
本当のやさしさとは、状況に応じて手を出したり、引っ込めたり、がなされること。緩急しっかりつけて、これは相手のためになると思えば、あえて傍観の立場をとり、これは手を貸さなきゃと思えば、ぐっと前に出る。
そういう人を後ろからそっと見守ることがやさしいの本質。
そのために相手をよく観察し、相手の置かれてる状況に自分を合わせていく。我を張らず、相手の主体性を妨げない。一歩引いたそのあり方こそ、やさしさに求められる姿勢。
私の彼はどうなんだ?
では私の彼はどうなんだろう?そんな引いた目線で私を見てくれてる?それとも単に愛でてるだけ?
かわいい、きれい、といった言葉で装飾されるとき、人は人ではなく美しいフォルムの人形となる。人形には心もないし、傷ついたりもしない。だから彼はいつも穏やかにいられる。
でも実際は違う。どんなにきれいなフォルムの人でも、困ったり、苦しんだり、間違ったり、迷ったりする。そんなとき、彼は私から目を逸らさず見ててくれるだろうか。
それに自信を持ってYESと答えられないときは、彼はやさしいんじゃない、人任せにしてるだけ。残念だが、それが真実。
やさしいと放置は似て非なるもの。やさしくない彼といくら一緒にいたって、幸せにはなれない。
ちゃんと人を見る目を磨いていこう。