「どうせお金のために聴いてるだけでしょ」
そう、カウンセラーに思ったことはないだろうか?
少なくとも私はそう思っていた。
1時間で1万円。たいしたアドバイスもなく、
「なるほど~」「それは大変でしたね~」「つらかったでしょう」
といった言葉の繰り返し。
この人、本当に私のことみてる?
スキルとしての傾聴が人を救うことってどれくらいあるんだろうか。
確かに日常において、「黙って聞かれる」ことは少ない。かといって単に「黙って聞いて」くれればカウンセリングになりうるのか?というと、それも違う。
あくまでも、アクティブに聴かれることが必要だ。
このアクティブかアクティブじゃないかは、カウンセラーがなんと返すかにかかっている。
患者さんが言葉に沿った、そのときしか言えない言葉であれば、アクティブ。
使い古された、むしろ繕った感の激しい言葉であれば、アクティブじゃない。
カウンセリングは生ものであって、そのときその間でしか成り立たないものに合わせて理解を深めていって初めて、気づきに達する。そのときは、もはや言葉を飛び越えて、感覚として互いが共鳴し合い、充たされる。
そういう瞬間を目指して聴くのが、本来の傾聴。
これは頻繁にカウンセリングを受ければそうなりやすいというものではなく、一回一回がぎゅっと詰まっていて、少なくともカウンセラーに「この人を理解したい」という気持ちがなければ起こりえない。
ところが、漫然と聴いていたり、患者さんに興味を持てなかったりして、患者さんを飽きさせているケースが散見される。
何度聴かれても、患者さんの心に何も起こらず、何も気づかず、ただお札が飛んでいくだけ。患者さんの方が、「このカウンセリングって何の役に立つの?」と思ってしまっている。
そうなると初頭の「どうせお金のために聴いてるだけでしょ」という気持ちにとりつかれる。
あなたのカウンセラーはあなたを語れるだろうか?まるであなたの中に入り込んだかのように、あなたを語り尽くせるだろうか?
他者ゆえに限度はあろう。しかし何度も話を聞いたのだから、それなりに、本人に近寄り入り込むことは可能だ。
それが出来るかどうかは、どこまで「患者を理解しているか」にかかっている。
おそらくどのカウンセラーであっても、問題を指摘することはできよう。思考に偏りがあります、自己肯定感が低いです、物事を悲観的に見過ぎ。
これは第三者であれば、誰でもできる。友達を評するのと同じ脳の回路を使えばいいからだ。
しかし、あなたを語ることは少なくとも真剣にあなたに向き合い、あなたの心を掴みたいと思った人でないと出来ない。
もし今のカウンセリングに疑問を持っているなら、一度「私の代わりに私の心を話してみてくれませんか?」とお願いしてみよう。続けるかどうかの判断につながると思う。