家の中が片付いている人は、頭の中が整理され、心に余裕があり、性格が良いとされている。
一方で、「あの人の家はピカピカだけど、性格はそんなでもないよ。むしろぎゃぁぎゃぁうるさい」とも聞く。
だとしたら、片付いていることは心の余裕とは関係ないのだろうか?
片付けるまでには、次のような考えを経る。
気になるところを見つけられるか
↓
気になるところに手を差し伸べようと思えるか
↓
実際に手を差し伸べたか
これにすべてYESのとき、すなわち心に余裕があって、観察力、モチベーション、行動力が伴うときは「片付ける」という行動に帰着する。
だから片付いているイコール心に余裕がある→心が穏やかという仮説が成り立つ。
しかしゴールを同じくして違う考え方もある。
気になるところを見つけられるか
↓
気になるところに手を差し伸べ【なくては】と思うか
↓
実際に手を差し伸べたか
これにすべてYESのときはどうだろうか。
心が強迫されていて、観察力、強迫観念、やらなくてはという焦りが伴い、「片付ける」という行動に行き着いてるとは考えられまいか。
つまり片付いてるイコール心が焦っている→片付いてる家の人の心は狭くて荒々しいという仮説も成り立つ。
ということは、「片付いているから心の穏やかな人」と思うのは正しくない。
考え方を変えると、「片付いていない方が、ありのままを受け入れる度量があるから、心が穏やかな人」というのも成り立つ。
ごちゃっとした友達の部屋に入ると落ち着くのはそのせいだ。
その人その人によって、ちょうどよい片付き具合というのがあって、どんな家であっても本人が居心地が良いと思えれば、それが一番ではないだろうか。
大切なのはその空間に主導権を持っていること。すなわち、なんのために片付けているのか自覚していること。
親が、我が家の片付けの方針はコレ!と決めていれば、子どものオモチャをおもちゃ箱にいれておくのがいい、子どものオモチャを仕切りに入れてすぐ取り出せるようにしておくのがいい、子どものオモチャにすぐ手に届くように棚にのせておくのがいい、子どもがいつでも遊べるように床に置いておくのがいい、
はすべて正解だ。
ただ水回りはびちょびちょにしておくと、カビや菌が発生するので、身体によくない。身を守るためにも、そこだけはしっかり掃除をしたほうがいいと思う。