あなたは満足いく成功をおさめているだろうか?
おおよそ「いいえ」と答えるだろう。
平凡な毎日、リッチとはいえない暮らし、異性からの注目もイマイチ?かもしれない。
では、なぜそこそこな人生になっちゃったんだろう?
アウトプットがそこそこになる理由
普段から「どうせ出来るわけない」と自分に言い聞かせている人は、自信がなく頭の中が「出来なかったらどうしよう?」という不安で埋め尽くされている。
そうなると「楽しむ」とか「工夫する」ということに考えが及ばず、やることで精一杯となってしまう。
当然、アウトプットは予想を上回ることなく、「普通」の出来。評価はそこそこ。
この事態を招いているのは、「どうせ…」という思い。
その思いがなきゃいいんだけど、どういうわけか頭から離れない。
となれば、もう少しその思いについて掘り下げてみる必要がありそうだ。
「どうせ…」が棲みついた経緯
あなたが生まれた直後、親は素直に喜んでくれたことだろう。
ところが2歳3歳と大きくなるにつれ、あれやこれやと期待を抱くようになった。
特に同じ年の子供と遜色なく育つことを期待されたはずだ。でも成長には個体差がある。
Aちゃんは出来てもあなたには出来ない、反対にあなたには出来てもAちゃんには出来ないことがあったろう。
その違いをゆったりと受け止めることのできないあなたの親は、できない我が子を責める。追い立てる。そして諦める。
その時使った言葉が「どうせ出来るわけない」だった。
出来ないことに直面する度、その言葉を吐く親。何度も何度も聞かされる内に頭の中に「どうせ…」という思いが棲みつくようになった。
「どうせ…」のせいで、あなたは自分を諦め、冒険しなくなった。
先が見えやすく、確実にゴールできそうなことだけを目標にするようになった。
だから今そこそこの処で留まっている。
「どうせ…」の影響が及ぶ範疇
だが、「どうぜ…」という思いはもっと悪い方向へ己を引っ張る。
そのことについて海外での事例を紹介しよう。
1980年代に心理学者のダブ・イーデンが訓練を始める前に優秀な兵士を見抜く、という神業をやってのけた。
このときイーデンの手元には兵士の適性検査のスコア、基礎訓練の評価、以前の指揮官からの評定があった。
普通に考えたら、これらの資料を基にエリートを抽出するのだが、そうはしなかった。
無作為に選んだのだ。
無作為に選んだのに才能を開花させて優秀者になったってヘンじゃない?と思うかもしれない。
でも確実に選ばれた兵士は3ヶ月で、仲間の兵士たちよりよい成績を上げた。
なぜか?
それは周りが「選ばれた人には高い素養がある」と信じ、当人も又それを信じたからだった。
ー信じるー
と、自然と周りの接し方が変わる。それによって自分という存在の捉え方も変わる。
さらに失敗したときの解釈が変わる。 オレはダメだ → これは必要な試練だったんだ!次に向けて頑張ろう、と。
「信じるというほんの小さな力が幾重にも重なって、明かな差異として成績に表れた」としたなら、これは信じない、という方向にも表れてくるんじゃないだろうか?
「どうせ出来るわけない」と言い続け、積もりに積もった自分への不信感。
その思いが、本当に自分を出来ない人間へと仕立てていく。成績を悪くしていく。もちろん、周りからそういう目で見られる事態をも引き寄せる。
つまり「どうせ…」という思いは、自分を「普通」からさらに下へと引っ張る働きをする。
あなたの人生がそこそこなわけ
とすれば、「どうせ…」という思いは、今後さらにあなたの人生を下降させていくだろう。
このまま放って置いていいんだろうか。
もうそろそろ親に言われた言葉を卒業して、自分らしい言葉を掛けてあげてもいい時期じゃないか。
今までの人生がそこそこだったのは、あなたに実力がなかったからではない。
「どうせ…」という言葉に支配されていたからだ。
一人一人輝きをもってこの世に誕生している。
けれど、それを活かす者もいれば、活かさず朽ちていく者もいる。
自分はどっちを選択するか。
それはこれから先、自分の頭の中でどんな言葉を唱えるか、にかかっている。