地区の夏祭りを前に、いろいろと準備をしています。
私はだいたいどんなこともします。
祭り用のチラシを作るし、目玉企画を考えるし、出店するところの食事メニューの開発もします。
それをみた近所の奥様たちは、口を揃えて「すごいわね~」とおっしゃる。
けど、私こそ何もできなくてもなんとかなってる境遇を「すごいわね~」と思います。
何もできないの意味することって、実は結構恵まれてることなんです。
かわいい奥様 VS たくましい我々
近所の奥様たちは、皆かわいらしい。見た目もそうだけど雰囲気が。
ぽわ~ってしているんです。声が小さくて、自分を出さず、ひたすら待ちの姿勢。
それでもみなさん30歳以上なわけですから、それなりに経てきたものがあるはず。
なのに柔らかい雰囲気をまとっているのは、そこまで必死になる事態に遭遇しなかったからです。
誰かが守り、手助けしてくれた。だからできなくてもここまで来ちゃえたわけです。
要するに、幸せを絵に描いた生活だったんですね。
対してビジネスウーマンや私のような人は、厳しさやたくましさを身に纏っています。
親を含めて誰一人頼ることができなかったから、「やる」しかなかったんです。結果として「切り抜ける技」を身につけてしまった。ぽわ~んとした奥様たちから見れば、異世界の人です。
奥様たちが立ち入ることのなかった場所に、我々(ビジネスウーマンや私のこと)は雑草のごとく生きていたのですから。
かわいい奥様たちはラッキーすぎる
かといって我々が厳しい世界に行きたいと望んだわけではありません。
出来れば女の子らしく、ぽわ~んとした世界に住んでみたかった。だけど自分を取り囲む環境が許さなかった。
だから手の届かなかったぽわ~んとした世界に生まれ落ちたことだけで、単純に「すごい」と思うのです。
努力はだれでも出来ます。だからどんな人でもたくましさを手にすることが出来る。
でもぽわ~んとした世界で生きられるのは、めちゃめちゃ運に恵まれなきゃいかんので、同じ「すごい」というくくりにされたくないです。
なんとなく守られてるお嬢様方が、労働者の女性を「あなたたち、日焼けして力もあって羨ましいわ」といってる気がしてならんのです。
黒い感情は放置
私は器の小さな人間なので、お嬢様方をみるとイライラします。
けしてお嬢様たちが悪いんじゃありません。私が勝手にひがんでるだけ。
愛情ある場所に生まれ育つという「本来与えられるべきもの」を手に出来なかった一人として、羨ましいと悔しいが入り交じった黒い感情を肯定しようと思います。
今後お嬢様方も、ぽわ~んとした世界から抜け出さなければならない未来が待っている。そのとき初めて、努力を以てスキルを身につける必要性をひしひしと感じるんでしょう。
我々は苦労の先取りをしたと信じたい。