このブログを書き始めた頃、自分の中で親への恨みが湧いては消え、湧いては消えしていた。
文の中に恨み辛みを込め、呪詛か怨念の如く愚痴を吐き出していた。
その頃にお読みいただいてた読者には、たいそう見苦しい文をお見せして、申し訳ない。
ただアダルトチルドレンの回復に着手した当初は、何をすればいいのか皆目見当が付かず、思いのままを綴るしかなかった。
毒は吐けば、消えて無くなる。当時はそう信じていた。
ところが書いても書いても恨みは終わらない。
どうもこのやり方は、効果がなかったらしい。
もし私と同じくアダルトチルドレンの苦しみの最中にあって、どうやったら回復するのか迷っている人がいれば、お目通しいただきたい。
一度は吐き出そう
嫌なことがあれば、人は誰かにそのことを話そうとする。話すことで溜まった毒を吐き出そうとしているのだ。
それ自体は自浄作用なので、一度はやる方がいいと思う。ただし吐き出すのは人にではなく、無生物に。
ブログでもいいし、ノートでもいい。強制的に聞かされる人を作らないという条件ならば、何に出しても構わない。
吐き出して、まずは頭の中をスッキリさせて、落ち着く。
その上で次の手に出る。
毒は果たして正当なものなのか?
出したものを数日置いてから見返す。
自分が書いたという認識を一旦横に置いて、誰かの書いた文だと思って読むと、ひねくれ根性や歪んだ性格が透いて見える。
可哀想な生い立ちかもしれないけれど、そこまで相手を責めなくたって…、という気持ちも湧かなくはない。
毒に侵されてるときは見えなかった偏りが見えてくる。
客観的にみると、自分の中の被害者意識が見えてくる。
もう一度同じテーマで書き直す
そしたら、もう一度同じ内容を、今度はもう少し客観的に書いてみる。
恨みを主体とした文体ではなく、淡々と過去を見つめて、頑張って耐えた自分を労るように。
そうすると、被害者意識ではなく、治癒を意識した文に変わる。
親を恨むのではなく、自分の状況を見つめ返せる。
恨みは何も生まない、振り返りは未来を生む
ー恨みたいー
それも人間らしくていいじゃないか、って思う。
「人を恨みなんてしません。そんなことやって意味あるんですか?」って感情にフタをするのは感心しない。
フタをしたって、あるものはあるのだから。
むしろ恨みをエネルギー源として、振り返りに使えばいい。
未だ自分がACとして居続けるのは、過去を今に引きずっているから。
今の場所を飛び出すには、なにか強いきっかけが必要。そのために「恨み」という熱いエネルギーの塊を使う。
相手は変えられない。だから違うことに矛先を向けよう
私は過去に親子対決をした。専門家に真ん中に挟んで思いの丈を述べた。結果、親から返ってきたのは言い訳の連続だった。
そのとき感じた徒労感は計り知れない。
どんなにすがっても脅しても相手は変わらない。ただ悲しくなるだけ。
だったら一度恨みを出した後は、自分をどう変えていくかに全力を注ごう。
最適な吐き出し先さえ見つけられれば、一人でも出来る。
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恨みに人生を割いてはもったいない。もう一度あなたを作り直すのに大切な時間を使いましょう。