何をやっても続かない、やる気が継続しない…。
そんな根性なしの自分をポカポカ殴りたくなったことってないだろうか?
いい年こいて、あっちへふらふら~、こっちへふらふら~。ほんと嫌になる。
でも、それって意思が弱いから? 浮気性だから?
なんかそうやって、自分をみじめに思いたくない。
もうちょっと考えて、それ以外の理由も探してみよう。
続くものから考える
たまたま続いてしまったものを思い浮かべてみると
やったらやっただけ自分に返ってきた勉強やスポーツ。
偶然人より秀でてて、やればやるほどお褒めの言葉をいただいたり、成績が上がったりして、嬉しさのあまりどんどんやってしまう。
嬉しい気持ちのするものは、やるのも、続けるのも楽しい。優れた結果や周囲からの応援が継続の秘訣だろうか。
続かないものから考える
速攻で辞めたくなるものを思い浮かべてみると
いつまでも上手くならないスポーツ(私はドッチボール)、やらされてる感満載のこと全部。
できないのにやらなければならない感じが窮屈でならなかった。
自分に自分で恥をさらしてる感じ。おまけに周りからは、「そんなこともできないの」と言われ、テンションは下がりっぱなし。
こんな嫌な気持ちは味わいたくないし、繰り返したくもない。みじめな結果や周囲からの批判が続かない理由だろう。
何事も続かないわけ
だから泉谷閑示先生が著書の中でおっしゃってた「やっていて楽しいことは続く」に深く同意する。
けど、ホントにそれだけ?
絶好調だったのが、スランプに陥って辞めたくなる、ということもある。
でもプロはちゃんとそこ抜けきってる。
何かがあるから続けられるんじゃないだろうか。
そこで思いつくのが脳内のイメージ。
応援してくれる祖父母や親がいれば、一人ぽっち感をぬぐえる。「心強い応援隊がついてる」って思えるからこそ、彼らのためにもう一度立ち上がる。
反対に誰も注目してくれず一人置き去りにされたら、倒れた身体は倒れたまま。孤独の雨が降り注ぐ。
私たちの心の中では、この応援隊がいて「応援・励ましを受けられる」状態と、一人ぽっちで「脅迫・批判を喰らう」状態が天秤にかけられてて、どちらかに傾いてる。
実はこの天秤を好きにしていいのに、応援隊を持たぬ人は、「脅迫・批判」の皿にばかり重し乗せてしまってる。
これが何事も続かない理由だ。
ということで、意思が弱いから、とか根性ないから続かないってわけじゃないから、落ち込まないでくださいね。
脳内イメージ、すなわち自己肯定感の問題です。