昨年発売された少女漫画を分析した男性がたどり着いた女心の境地(リンク切れ)は
「ハイスペックな男性が、ダメな私を肯定してくれる」。
この結果に、やっぱり感が否めなかったです。
自分を肯定できない女性は、誰からも満点をもらえる男性に求められることで
ダメな私→満点が付く男性に求められる私→満点男がお墨付きを与えたイケてる私
という謎のステップアップを経て、心から自分を肯定出来る日を夢見ます。
今日は、認められる事で自分を肯定しようとする若者達の心の中を考えてみましょう。
真剣にファンタジーを求める人々
分析を行った牧田翠さんによると、
少女漫画の主人公はハイスペック王子に愛されるだけでなく「一方的に愛される」
のだそうです。
自分が男性だったら、一方的に愛するなんて強いハートを持ってないし思い切った行動に出ることもないだろう、と思います。なのに、なぜかマンガの中では主人公に一直線。
どんだけ強く女性に惹かれてるんだ、っていう話です。
こんなありもしないストーリーに対して、「ダメな私でも王子には魅力的に見える♥」って浮かれるより、王子の美的センスや人を見る眼を疑った方がいいんじゃないでしょうか?アナコンダにほおずりして、バッタを食べるのが趣味みたいな特殊な感覚をお持ちの王子にしか思えん・・・。
普通では起こりえない、特殊な感覚をお持ちの王子との出会いを真剣に待ち望んでいる女子がいるとすれば、それは頭がお花畑の痛い人でしかない。思春期までなら、笑って許せるけど、それ以上の年齢だとファンタジーと現実を混同したたヤバい人です。
でも実際は青年期になって尚、「ハイスペック王子から見初められて、猛烈に求婚されたら結婚してあげてもいいよ」という人もいるのですから、世の中くわばらくわばら、です。
SNSの発達で自己を肯定する手段が低俗化した
過去には、マンガの中のファンタジーを求め、マンガの中で生きようとするくらいでしか、自己を肯定する手段がありませんでした。
ところがインターネットが発達して、いつでも手軽に「いいね」と言ってもらえる手段が出来上がりました。その途端、マンガを読まなかった人々の肯定されたい欲までもがスパーク!!
リア充アピール写真や、マウンティング合戦といった小競り合いがここかしこで行われ始めました。
心に空いた穴を埋めるのにピッタリのツールが現れたら、それを拒む理由はありません。
やればやるほど、快感と小競り合いで負けた悔しさが押し寄せる感情のジェットコースターに翻弄され、ギャンブル依存症のように前頭葉のネジが外れたような症状を呈する。
この傾向は若年層にも浸透しており、特に物事の分別がつきにくい小学生は染まりやすい。
甘い大人の誘導に乗せられて、アピールの限度を超え、過激な写真を投稿することも珍しくありません。
お金や権力をもたない分、「いいね」の集め方が原始的なのです。
その投稿が人生を終わらせる爆弾であることなど、頭をかすりもせず、承認された喜びに身をよじらせているのです。
なぜそんな痛々しい手法を採るのか?
冷静に見れば、ファンタジーと現実を混同するのも、SNSでアピール競争するのも、ましてや自分の将来をダメにする行為に走るのも、ただのリスク拡大にしか思えません。
でも当人たちは至って真剣に、ハイリスクローリターンのゲームに興じている。むしろ、それがないと人生に彩りがない、とさえ思っているかもしれない。
それくらい魅力的だということです。
裏を返せば、欲しくて仕方ない肯定される機会が異常に足りてない、ということ。
インターネットは発達したけれど、コミュニケーションは充実したか、というと疑問です。
コミュニケーションとは、ノンバーバル(非言語)とバーバル(言語)の両方を使って行います。ネットはノンバーバルがスコーンと抜け落ちている。「人は見た目が9割」と言われるように、コミュニケーションの大半をボディーランゲージで行っています。
そこに、悲しみや戸惑い、苦しさや寂しさ、といったものがギュっと詰まっていて、本当はみんなそういう負の感情に気づいて欲しいと願っている。不完全な自分に覚える不安を軽減して欲しいと思っているのです。
これを赤の他人、深いつきあいでもない相手にネット経由で求めることは、無意味です。
丁寧にゆっくりと当人のもつ不安を受け止めるには、身近な人、親、専門家といった人とコミュニケーションしていくこと。
それが達成されない限り、彼らがゲームを辞めることはない。
肯定されることは、彼らにとって、欠かすことの出来ない大切なことなのです。
もし我が子がこのゲームに興じているようでしたら、親御さんは普段から子供の不安を受け止められているかを一度省みられることをおすすめします。