婚活で、とんでもない相手に出会ったり、ひどい扱いを受けると、心が疲れる。
疲れるだけなら、休息すれば回復するが、一概にそうとも言えないようだ。
婚活疲労外来がある、ということは、それだけ多くの人の疲労が取り切れていないということだろう。
疲労がたまるシチュエーション
そもそもどんなときに疲れるのか?考えてみよう。
- ハラスメントのような心理的圧力を受けたとき
- 仲間はずれにされたとき
- 身勝手な相手に振り回されたとき
- やったことが無駄になったとき
- だれも頼る人がいないと感じたとき
こんなものだろうか。
学校、会社、友達社会、地域社会といった枠組みの中で疲れを感じやすいものを挙げてみた。
どんな風に疲れるのだろう?
では、一つずつ細かく疲れる様子を見ていこう。
- ハラスメント→自分の考えや存在意義が消えていきそうな気になり、憤りと無価値感の狭間を行ったり来たりして心の所在を失う
- 仲間はずれ→自分を受け入れてくれる場所がないというショックと、周りは団結しているという差に愕然とする。
- 身勝手→「知らねぇよ!」とタンカを切る勇気もなく、無駄な時間を消費しているなぁという気持ちにさいなまれる
- 無駄になった→役に立つという見通しがもろくもくずれさり、つぎ込んだ意気込みと無駄にした労力と時間に申し訳なくなる
- 頼る人がいない→辛い中にあって、本当に助けてくれる人といない寂しさは、疲れをいっそう加速する
もう少し突き詰めれば、なにか共通点が見えてきそう。
小さく共通点を探す
二つずつのグループに区切って、共通点を探していこう。
- ハラスメントと仲間はずれ→自分の存在が薄くなり、足元がふらつく
- 身勝手と無駄になった→心に抱いた気持ちが成就せず、自分の考えが確実なものにならずにいる
この結果と、最後の頼る人がいないの共通点は?
自分という存在が脅かされて、透明人間のように、消えそうになってる。
つまり疲れされる原因は?
自分の考えに対する敬意、作り出したモノに対する評価、仲間内における存在感、周りから大切にされている感じ、といった自分を明らかにすることから遠ざかり、いなくてもいい扱い・どうでもいい扱いを受けた時、人は心の底から疲れる。
自分を肯定する事象が多ければ、心は充実し、自分を否定する事象に囲まれると、心は疲れる。
だから、心を元気にしたかったら、自分を大切にしてくれる人の傍にいくか、誰か(ペットが飼い主とじゃれているみたいな)が大切にされている映像を見るかするといい。
ギスギスした世の中だもの。疲れるのは仕方がない。
ただ、疲れはちゃんと取りましょうね。みなさん、自分を大切に。