ここ最近、受身な生き方について考えています。
人生を失敗する人、目標を達成できない人の行動を目にすると、積極的に取り組んでないなー、周りがなんとかしてくれるの待ってるなーと感じます。
頭の使い方そのものが受身。
目の前のことに振り回され、たまたま思い浮かんだ考えに飛びつき、上手くいかないときはただぼーっと待つ。そんな手応えのない生き方は、人間関係にどう影響するのでしょうか。
受身な人の印象
配偶者Sは受身の典型のような人です。
好きか嫌いかの前に疲れる相手。
口火を切ることも、話の流れを作ることも、話を終結させることもない。
相手の言葉にただ振り回されるのみ。
なにもない。そう、なにもないんです。
邪魔じゃないけど、頼りにならない。
けれども興味を持ったことは、一人でダーっとやる。
それは得意。
一緒になにかを形作っていくことは、まったくサッパリありません。
だから一緒にいても、いないのと同じ。即ち「無」。
受身な人との生活
ただの「無」なら放っておけば良いのです。
でも私はその人と婚姻関係を結んでしまった。
地獄です。
相手はなにもしなくても、平気。たぶん足にコケが生えるくらいじーっとしていても平気。
私は有限の時間の中で生きているので、いろいろ経験したい。でもいつも言い出しっぺは疲れる。
相手が言い出すのを待つ→しびれを切らす→自分で提案する→嫌気がさしケンカ。
全然幸せではありません。
大切にされている感もありません。
何かしたいという心を殺して、息をするだけ。期待を捨て、お坊さんのように生きる。
こんな生活、配偶者でなければ、放り出しています。
受身な人との暮らしは、心を壊します。
受身の未来
しかし、意外と社会では、受身な人も上手くやっていける。特にグループ内に舵取りの上手い人がいれば、快適に生息可能。
個人的な魅力には乏しいので、組織を離れると寂しい人間関係になるかもしれませんが、当人は至って平気。自ら舵を取るプレッシャーに比べると独りの方が気楽なようです。
私とは真逆の生き方をするSを100%理解することはできません。彼らは延々と、自分だけの世界で生き続けるんでしょうか。
私は受け身な人との生活で精も根も疲れ果てました。出来れば今後あまり関わり合いたくないと思っています。