ちょっと不思議な人付き合いを目の当たりにしたことはないだろうか。
見た目のとっても派手な子の親友が、これまたびっくりするぐらいの地味な子という光景。
最初は、なんで派手な子の親友がこの人?と思ったが、今となっては”当たり前田のクラッカー(古っ)”と思えるようになった。
実は派手な子も地味な子も自信がないという共通点を持つ。
自信のなさを何で補おうとするかのベクトルが違うだけ。
外見を強そうに見せかけて補おうとするのか、外見を地味に見せかけて相手に興味を持たれないよう箕で覆うか。
どちらにしても素のままの勝負が出来ないので、チカチカと光を放って相手の目をくらませたり、風景に溶け込んで存在を消そうとしている。
だからなのか、どっちもやり過ぎ感が強い。
視覚というのは、他の感覚に比べて、強く認知されがちなので、人々は見た目から自信のなさを防御しようとする。無意識ながらやっていることは、結構理にかなってるのがおもしろい。
「アナと雪の女王」がすばらしい興行収入を挙げている。
映画の中で”ありのまま”というのは、一つキーワードになると思う。(映画みてないけど)
実はありのままでいるというのは、結構勇気の要ることであり、おおよそ人は何かしらんの鎧を被りながら世間と対峙している。
だからこそ、ありのままでいることへのあこがれが映画のヒットにつながっているのではないだろうか。
女性は元々美しい。
その美しさにムリに気づけとは言わないが、いつか自分の美しさに気づけた時、不要な鎧を取り去り、内面から浮き上がる輝きと培った感性を活かしたファッションに身を包んで欲しいと思う。
ちょうどいい見た目は、周りに爽やかな風を呼び込む。