私には、なにもしなくても誰かに大切にされた体験がない(と記憶している)。
自分が気を配って、尽くして、そしてお返しになにかをしてもらうという流れしかない。
中にはお返しのない人もいて、だから私の心はどちらかというとカスカスの状態。
乾いたぞうきん絞って、他者に全部渡して、自分には何も残ってない。
小さいときから、そうやるのがクセで、特別自分が損しているとは思わなかった。
けど冠婚葬祭とか、出産祝いとかを渡すにつれて、「なんかあげっぱなしじゃね?」という感覚が生まれた。
あげっぱなしだと、心のどこかに「損してる」という気持ちが生まれる。
そしたら、「これ以上損してたまるものかっ」とどこかで意固地になる。
あげたのだから返されて当然なのだけど、人間というのは非情なもので、自分が貰ったことはすっかり忘れて人に返すことはしない。
ここでACとしての最大の弱点、「自分は返されて当然の感覚を持てない」がクリティカルに効いてくる。
返されて当然という感覚が持てないので、堂々とお祝い頂戴とは言えず、ただ私の気持ちを察してくれと願うばかり。
はっきりいって、この拮抗が延々続くのは苦しいです。
世の中には何もしなくてもたくさんもらえる人がいる。
一方で私のように差し出すばかりの人がいる。
差し出す人の心持ちを変えれば、もらえる人に変化できるのか?
結局ずっとずっと与えっぱなしがいやで、最近はどんなことでも差し出し続けるのが嫌になればそこで一旦休憩を取ることにしています。
単なる物の譲渡だけでなく、誘うこととか話題を提供することとかそういうのも自分だけが一方的に差し出す側だとどっか疲れちゃうんですよね。
本当の受け渡しのバランスをどこでとってよいかはまだ分からないけど、少なくとも今の与えっぱなしの感覚というのは、自分に負担が大きく間違えていると思います。