さっぶいですねー。家で冬用のジャンパー着てます。
わんこがちょうどいい湯たんぽです・・・が柴犬なので、飼い主に近寄りもしません。
あっちで寝てます(悲)。
さて、以前から気になっていた「褒め言葉とはなにか」に大きな前進が見られました。
人が自分とは違う考えを持っていることを知っているだけではなく、相手になりきって相手の見解を理解し、さらにその見解を自分のなかに取り入れる。
(心に入り込む技術 レオ・マルティン)
褒めるとは、他者の優れた点を言葉にして示すことをいいます。
褒められることは人に喜びをもたらすように見えますが、時に”なんだか腑に落ちない”とか”揶揄されている?”と感じることもあります。
どうもうれしい褒めとそうでない褒めがあるらしい。
その違いはどこにある?とずっと悩んでいました。
その違いの素が先の言葉「相手になりきって相手の見解を理解し」の部分だったのです。
実は本人が意識している・いないに関わらず実はちょっと誇らしい種が心の奥にあります。
その種を他者が褒めると、「私の誇りを他人が認めてくれた」とうれしくなります。
と同時に「この種は、第三者から見ても優れているんだ!」という自信につながります。
ところが本人がまったく考えても見ないし、意識下にもないことを褒められても、「なにそれ?」という気分になります。
相手の見解を意識するという下地がなければ、褒めることはむしろ発言者の主観の押しつけに過ぎないという事実は、私に新しい扉を開いてくれました。
人は主観で物をいいます。
「背が高いね」
「制服似合っているね」
「そのアクセサリーかっこいいね」
「すごい成績じゃん!」
「美人だね」
これらはいずれも褒め言葉のように聞こえますが、もし本人が
・背の高いことをコンプレックスに思っている
・制服が似合う子は地味顔だと思っている
・このアクセサリーあんまり気に入っていない
・勉強だけできてもスポーツができないと人間としてだめだと思っている
・顔だけ美人でも、性格がブスなんだと自己否定している
ならば、なんの喜びにも繋がらない。むしろ冷やかされているとさえ思ってしまうのです。
だから主観で褒めるのは、相手の見解を意識するという高度な技が必要で、それが出来ない人は、下手をすると意識しないままに相手をナイフで斬りつける事態を招くことにすらなります。
「褒めればいい」と単純に思っていたけど、常に相手が笑顔になる・饒舌になるわけじゃない不思議はこんなところにあったんですね。
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