ACばかりの集まりがあったとしよう。
攻撃的な人は誰もいない。そのときあるACが自分の辛い体験を語ったとする。
同じ体験をもった人は頷き、耳を傾けるだろう。
一方、その体験を持ったことのない人、もしくは自分の物差しでもっと壮絶な体験を
していると思っている人は、話題が途切れたら我先に自分の悲惨ストーリーを述べ
ようと虎視眈々その時を狙う。
ACが世の中で、若干疎まれるのは、同情されたい気持ちが強いからだ。
同情されることで、「本当に自分は悲惨な家庭に育ったのだ」というフィードバックが
得られ、自分の被害予想(妄想?)が被害事実として自己内に認定される。
自分が感じていたあやふや事実が他者に承認されることで、被害者として居ることを
自分に許可できる気がするのだ。
許可の回数が増えるほど、確信を持って被害者立場に立てる。
ところで、人の気持ちは移ろいやすい。
たとえ相手に壮絶な過去があろうとも、一度聞いてしまえば、既出事実として認定され
それを上回るビックリストーリでも出てこない限り、二度も三度も聞きたくない。
それに他者があなたの悲惨ストーリに興味を持つのは、自分の過去と比較して、
自分はマシだと思うためだ。
一度過去の比較をしたら、もう比べる必要はない。
それだけに同じ種類の話を繰り返しされると、冗長さを感じて嫌気を持つ。
ACは被害を語りながら、自分で同情し、時に可哀想にと自らを慰めている。
ACにとって、体験を語ることは回復の第一歩なのだが、周囲は迷惑千万。
自助会はそのためにあるといえばある。
けど、話した回数、構成するメンバーによっては、無関心になられてしまい、手応え
という意味で物足りなさが出てくる。
ACは徹底的に潰された自己像を、そっと大切に包んでくれるサポーターが必要だ。
それはもはやお金を払って得るか、マザーテレサ並の人に出会うしかない。
じゃなかったら、こうやってブログに書くかだ。
ブログは時間がかかるし、サポーターは得られないかもしれない。
ただしどんなにしつこく同じ体験を書こうとも、それは自由。
私はACの回復には、しつこさと粘り強さが重要だと思います。
他者に疎まれない、お金もかからないという意味では、最高のツールです。
皆さんの意見はどうですか?