ある発言小町への返答をきっかけに、偽りの自分について考えてみることにした。
親は私に
理系に行け
国立に行け
友達をたくさん作れ
華やかでいろ
と言った。
そこで、大学は国立理系、バイト先で多くの友人を作り、おしゃれを楽しむウキウキ
大学生のふりをした。
バイトの中に、特に仲の良い友達もいて、親友のようにつきあっていた。
彼氏もいたし、表面上パーフェクトだった。
でも、あるときふと、このつながりは、私と同じように、皆も友達いるふりをしたい
フェイクではないか?と思い始めた。
どこか浮き足たって、もろそうな友人関係。彼女がいるというステータスを求める
彼氏。・・・心が晴れない。
そのまま原因を追及することなく、この年まできちゃった。
けど、今となっては、これは単なる懸念ではなく、事実だったと思う。
少なくとも、私自身、友人を大切にしていなかった。
友人を携帯のストラップみたいに、じゃらじゃら付けて、見せびらかす物と捉えていた。
友人がいないと、人間として欠陥があると見られそう。
彼氏がいないと、モテない女と思われそう。
そういう自意識過剰もあったと思う。
それもこれも、私自身が人間として大切にされた記憶が無く、誰かの欲望を
満たすためだけに、生かされてきたため、友人を大切にするの意味が
分かっていなかった事が原因と思う。
物として扱えば、自分も物として扱われる人生を歩む。
あの時感じた虚しさが、今ここに、よみがえる。
私は自分がまだ傲慢な人間だと思う。
成長が足りない。
でも、過去は後悔しない。
一歩でも成長したいと、進むのみ。