「必ずメールしますね」「お食事行きましょう」など、期待させる言葉を言っておきながら
連絡を寄越さない or こちらが連絡しても素っ気ない といった態度を取られると、
あれは社交辞令だったんだ~と気付きます。
果たして、本当に社交辞令なのでしょうか?
社交辞令
-つきあいをうまく進めるための儀礼的なほめ言葉やあいさつ-(goo辞書)
最終的に、相手になぁんだと思わせることのどこが「つきあいをうまくすすめている」
のでしょうか?
相手に期待を持たせている時点で、その期待に添うことこそが「つきあいをうまく
すすめていく」ことではないですか?
最近我々が使っている社交辞令と思っている物の正体は、自分がよく思われたい
為の詐欺マスクです。
「さよなら」というより「メールしますね」の方が、相手に好感を抱かせることができる。
その場だけでもいいから、いい人のふりをしたいという弱い心の表れです。
弱い心が、相手の期待が潰す。人は何度も期待を潰されると、疑い深くなり、いい
お誘いがあっても、「これも社交辞令?」と疑念を膨らませてしまいます。
疑心暗鬼の人を増やす社交辞令なんて、害以外のなにものでもない。
私は疑念を増やす社交辞令を喰らうなら、「あんたとは、もう会わない。お元気で」と
ばっさり切られた方が、なんぼかスカっとする。
社交辞令で傷つく心がたくさんあります。
いやらしい言い方はやめて、誘いたい人を誘いましょう。