『借り暮らしのアリエッティ』を見た。
お手伝いのハルさんが、小人をみて、「どろぼう小人がいるんですよ。」と
奥様(おばさん)に伝えるシーンを見て、はっと気がついた。
屋敷の主であるおばさんや祖先は、小人がいることを好意的に捉えていて
小人サイズの本格的なドールハウスを作った。
きっと、もし小人に出会ったらプレゼントするつもりだったろう。
だから、ハルさんから小人を見た話を聞いたとき、やっと逢えたわね!と喜んだ
に違いない。
ところがハルさんは、小人は人間の物をくすねる悪いヤツと捉えたので、「どろぼう」
という単語が出てきた。
対象(小人)を嫌いなタイプと好きなタイプはこういうところでハッキリと差がでる。
さて、去年から考えていたのが、「私はどうして人が怖いのか」だ。
見知らぬ人に出会ったら、何か注意されるのではないかとビクビク。
知っている人に出会ったら、相手を不愉快にしていないかとビクビク。
んで、最終的に人間を避ける。
どうして、こんな風になってしまったかというと
私はハルさんと同じ「対象(人間)は悪いヤツ」だと思っているからじゃないか・・・
と思った。
母は、私を叱ることはあっても褒めることはなかった。
母は、誰かに会った後、帰宅するとその人の悪口をいった。
一番身近にいる母を見て、「人間とは、他の人間のことをよく思っていないのだ」
と学習した。
だから「周りの人は私のことを、悪い人だと思っている」ということ前提に人間に
接するようになった。
悪い人と思われるなら、当然かけられる言葉は辛辣なハズ。だからいつも私は表面に
柔和な表情を使って衝突を避けながらも、内面はいつでも戦闘態勢だ。
私と会っていた人は、さぞかしお疲れになったでしょう。
こんな私だから、当然お友達など出来ない。
今、独りなことに、納得。
このように人間を敵視する生活をしていると、いずれ自分にも敵意を向けること
になる。
しらずしらずの間に、自分にかける言葉が「~も出来ないなんて実力不足」
「あんたなんか誰も大切に思ってくれないよ」「頑張らないと生きている意味無し」
のように、自己を追い詰める言葉ばかりになる。
その上、周りからも言葉として同様なニュアンスのことを言われたら、心から
自分はダメなヤツと思ってしまいそう。
不真面目なヤツの方が、打たれ強くていいというのは、周りから辛辣な言葉を
掛けられても、自分の中で「自分はいいヤツだ」と思っているからなのだ。
一昨年、去年、カウンセリングを受けながら、私の中に根付いた「人間は悪いヤツ」・
「自分は出来ないヤツ」という思いこみを外そうとした。
不思議なことに、カウンセリングを受けているとき、思いこんでいることは認識できる
のだが思いこみを修正しようという気になれない。
心のフィルターが辞めとけ!と圧力をかけてくる。
私に限って言うなら、その思いこみが間違いだと気がついたのは、犬を飼ってみて
「コイツ自由だな~。人間の言うこと全然聞かないのにかわいいな」と思った瞬間や、
ドラマなどでハッとした瞬間(セカンドバージンの中村るいとか家政婦のミタの三田
さんとかコードブルーの藍沢や白石の台詞を聞いたとき)の積み重ねだった。
どこでどう気がつくかは、個人にゆだねられている。しかしいずれにせよ、なんらか
のヒントは日常に転がっている。
私は、まだ人間への恐怖を克服できたわけではない。
それでも、恐怖を抱いた理由を知れば、心を白紙に戻してやり直すことが出来る。
表面だけが人当たりのいい人から、心で接することのできる人間に一歩でも
近づきたいです。