あの人のことが好きだから、不幸だって分かっていても別れられない・・・。
彼の浮気に腹が立って、夜も眠れない・・・。
こんな体験したことがある人、多いのではないでしょうか?
私もその一人。
なぜにそこまで悩んでしまうのか。
それは相手への執着があるから。
手放したくない、あの人以上の人は現れないと思う心が、手放すな!信号をだす。
一方相手は自分ほどに執着がない。その差が自分の心を苦しめる。
こういうときの心理って、大切なことが抜けていると思うのです。
それは、自分以上に大切なモノなんてない ってこと。
心が完全に大切なモノは相手だけにチェンジしちゃってる。
意中の相手こそが自分を幸せにしてくれる。それ以外の選択肢なんてナイっと
かたくなに信じています。
この心理って、相手を恨んだり憎んだりしているときと同じではないでしょうか?
要するに視野狭窄。
自分を幸せにする手段は、本当に彼なのでしょうか?
私は己の心次第だと思います。
ほっと心を落ち着けて、あたりを見れば、幸せだと感じる瞬間はここかしこ
にある。
そういう大切なモノを見過ごして、コレこそが幸せじゃーと一点に視線を集中させて
いる人は、周囲から見て、恐ろしささえ感じます。
当然意中の相手からも同じように捉えられるでしょう。
自分を幸せにするのは、他者ではない。自分だけなのです。
自分を幸せにした後の残りの力を他者に渡すから、相手は気楽に力を受け取れる
のです。
そんな余裕が相手の好意を引き寄せるのではないでしょうか?
視線を集中させ、コレしかないと視野狭窄に陥っている執着のど真ん中の状態は
誰の幸せも生み出すことが出来ない。
ストーカーの幸せが成就しないのと同じです。
相手に心が奪われて苦しいときにこそ、自分を豊かにする別の方法を探る。
執着が解かれてリラックスしたときに、恋が引き寄せられるのです。
雑誌に好きな人に振り向いてもらいたいなら、自分磨きをしましょうとか生活を
充実させましょうと書いてあります。その意味を理解するのは難しい。
簡単に一言でいえる話じゃないと思います。
幸せというのを実感するのは、いろんな心の要素が揃ってこそ。
コレっ---と集中している時はムリ。力を抜いて、周りを見て、自分が持っているもの
に気がついて、あー有り難いなあと思ったときに、初めてこの置かれている環境に
幸せを感じることが出来る。
容姿がダメ、お金が稼げないからダメ、いじめられているからダメ
という視点から
自分が生きているのは誰かがミルクをくれておしめを替えてくれたから、
さっきご飯が食べられたのは、米を作ってくれる人がいたから、土壌が汚染されて
いないから、水道ガス電気というライフラインが整っているから
という視点に変えてみたら、もっと豊かな世界が見えるでしょう。
置かれている環境をバカにしてはいけません。
その環境さえも、作り出すのはとてつもない労力がいるんです。
東日本大震災を経験した人なら、分かるでしょう?
感謝の先に、執着から自由になるヒントがあります。
恋は素晴らしいけど、恋だけに人生をささげては、もったいない。
自分の人生です。相手のためではなく自分のために生きましょう。