以前勤めていた会社に私の一つ下の派遣の女性がいた。
彼女はある年結婚した。
彼女は、元々大家族の家事を一手に引き受けていたこともあり、家事・洋裁は手際
よく、顔立ちもやさしく、おっとりした性格なので、きっと家庭円満なのだろうと疑わなかった。
あるとき夕暮れのトイレで彼女と話したとき、「今日は旦那さんのご飯これから
作るの?」と聞いたら、「離婚したの」と肩を落としていた。
私はとてもおどろいて、なにも言えずにその場を後にした。
その後私は退職し、会社はリーマンショックの影響を受け、派遣社員の契約
延長の打ち切りが決まり、彼女も対象となった。
派遣先から契約打ち切りの話を切り出された彼女は取り乱し、号泣したらしい。
他の派遣さんが彼女を女子トイレまで連れて行って、「決まったことだから、しっかと
受け止めなさい。大人でしょう」と諭したらしい。
そのとき彼女は「離婚もしたし、家族も養わなくちゃいけないのにどうしよう。」
とうろたえていた。
それを会社に残っている友人から聞いたとき、彼女は自ら不幸になっているタイプ
だなと感じた。
彼女は誰かに幸せにしてもらうという思想が強い。
旦那が私を幸せにしてくれる。会社がお給料をくれる。そう思っている。
だが自分は誰かに”与える”ことを、無償で続けていけるだろうか?
相手から成果や愛を受け取れるからこそ、相手にも何かを”与える”ことができる
のだ。
自分がただぼーっと受け身的にいても、成果も愛も作り出せないですよ。
そういう当たり前のことに気がつかないから、どちらも失うことになる。
離婚は悪いことではないと思う。
自分が自分らしく生きるために離婚するのは、立派な責任の取り方だ。
けど彼女は離婚を前向きに捉えていない。
あれもこれも自分の手からすり抜けていくことをただ嘆いているだけ。
これから先、彼女の人生にはちょっと良いことがあるかもしれない。
だが、与えられることに甘んじている人生を歩む限り、ちょっと良いことは続かない。
偶然に身を投じるより、必然をつかみ取る生き方に変えてみた方が、ずっと幸せ
になれるのに と思ったのでした。