H20の「大人の階段登る~、キミはまだシンデレラっさ。幸せは誰かがきっと~
運んでくれると信じてるね。」
子供心に、白馬の王子様が私を幸せにしてくれると信じていた私には、
「あたりまえじゃん!」と思う歌詞だった。なぜこの歌詞は懐疑的に問うのだろう?
女性は「幸せにして欲しい」と思っている人が多い。
男性はモテたいと思っている。
でも現実、女性には白馬の王子は訪れず、男性はいつまでたってもモテない。
男女ともに受け身な人ほど、幸せが遠のく。ほっといても魅力的と他人に映る人
はごくわずかだし、かりに見目麗しくても、相手を大切に思うことの出来ない(自発的
じゃない)人は、いずれ飽きられるか、束縛の対象になるだけ。
あのとき(といっても私が生まれる前)、どうしてH20はこの歌詞にしたのだろう?
暗に示すことが、アーティストとしての才能なのかな?
もっとばっちり厳しい内容の歌詞だったら、リスナーは「そうかー自発的に生きないと
だれにも振り向いてもらえないし、幸せを手にすることも出来ないんだな」と
現実を見ることが出来たのに。
現代の我々は、生き方の岐路にいると思う。
以前のように、ほっといても幸せな道を歩けると思いますか?それとも
努力(婚活)して、幸せな道を歩こうと思いますか?ってね。
でもここであえて私はどっちでもないんじゃね?と言いたい。
自分の心に素直に生きればいいという第三の選択肢を用意したい。
幸せにして欲しいということは、幸せになりたいということ。だからどうしたら
自分が幸せになるか考えて、その通りに生きればいい。
モテたいということは、沢山の人に注目され、愛される自分になりたいということ。
だからどういう人間になったら、沢山の人に注目されるのか考えて、その通りに
生きればいい。
なりたいことのために生きるって事は、自分の心に素直ってことでしょ?
自分の心に反してやりたくないことやる努力とは違う。
他人に求めることを期待しても、それは所詮無理なこと。
持っている間違い(幻想)をすて、採れる手段をとって着実に伸びていけば
そのうちなりたい自分になれるよ。
他人は幸せにしてくれない。自分で幸せになろう。そうしているうちに、他人を
幸せに出来る自分になれる。そして自分も周りから幸せを分けてもらえる。