心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

コミュニケーションを取るのはテトリスをやってるのと同じ

最近プロゲーマーの話を耳にする。少し前にトキドというハンドルネームの男性にスポットを当てたドキュメンタリー番組が放送されていた。私たちが子供の頃はゲームは単なる遊びでしかなかったが、今では立派な競技へと成長を遂げている。ただボタンを押していればいいのではなく、戦略性、体力、精神力といったスポーツ選手並みの素養が要求される。

そこまでキツくはなくても、我々も日常において、ゲームのようなことをしている。
たとえばAさんが「お腹すいたなぁ~」とつぶやくと、プレイヤーである我々は頭を回転させて、①同調する?②異を唱える?③(あそこでなら食べられますよと)誘導する? などの選択肢から最適と思うカードを切る。

B部長が「あの仕事、いつまでに出来るんだ?」と訊いてきた。我々は①(ヤバい。全然手をつけてないと)取り繕う?②(素直に応対して)ごめんなさいと言う?③(出来てない理由を言う勇気を持って)助言がほしいとお願いする? などの中から一番よいと思うものを選んで提示する。

同僚のCが「オマエってホント仕事出来ないね」とディスってきた。ストレスMAX(怒)。我々は①(憤慨して)辞めてくれよと言う?、②(自分の不出来さを前に)言い分を認める?③(なぜ相手がそんなことを言うのかを見越して)人のことどうこう言うほど自分の仕事は順調なんだね、と皮肉る? などの対処法から、自分に一番有利になる方法を採る。

こんな風に戦いの厳しさに応じて、その場をあった応対をしている。
そして応対が華麗であればあるほど、職場での地位は盤石なものとなり、みんなから大切にされる。

それが上手い筆頭がマツコデラックスさんだ。
彼女は性的マイノリティーで、ボディーも規格外。そのことだけを取り上げると完全に叩かれる側。でも的確に投げられた質問に答え、相手を「うん」と言わせている。
今やマツコさんの特異な出で立ちが、民衆のより所となっている。

見た目は関係ない。やはり応対のすばらしさが物を言う。
だから我々はその手腕は鍛えなければならない。

我々は日々テトリスをやっている

ところで私たちが日々取り組んでいるゲームは、戦闘ゲームとパズルゲームどちらだろうか?
先の例は戦闘ゲームを引き合いに出したが、実際のところ顔を合わせるメンツはそう変わらないし、業務内容もだいたい一緒。
だとすれば、敵キャラが次々変わる戦闘ゲームより、出てくるものは一緒で出てき方が変わるパズルゲームの方が近くないか?

誰かの気持ちがぽっと画面出でて、それを数秒以内でプレイヤーが処理して終わる、の繰り返し。上手く処理できれば感情はものの数秒で消え、処理を誤るとゴミとして画面に残る。ゴミが溜まりすぎると恨み辛みを買ってゲームオーバー。人間界からつまはじきにされる。
その様子はまるでテトリス。次々気持ちというパーツが上から落ちてきて、プレイヤーは短時間で噛み合う場所まで迅速に動かして、消す。

この単純なゲームでさえも、やり始めの頃は考えながらゆっくり操作をする。練習を重ねることで、どこにどうはめれば消せるかが見通せるようになり、そのうち目にもとまらぬ早業を手にし、消えた先の2連、3連消しまで見通せるようになる。

これこそ、人にモテる人はどこまでもモテ、人にモテない人はモテない理由だ。

私たちはゲーマーのように、日々耳に入ってくる言葉に応対しているだろうか。
いや、おおよそなんとなく受け流してしまっていて、ゲームでいえばパーツが溜まってゲームオーバーしている。

なんでそうしてるかって?本物のゲームは楽しくて、人間界におけるゲームは楽しくないからか?
私はそうは思わない。このゲームの楽しさを知らないだけだ。

だからちょっとでいい、やってみる。少なくとも「あぁ言われたら、どんな返し方があるのか」を考えてみる。そうすることで、いつもの自分より少し強くなれて、場を楽しめるようになる。