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心の守り方を考える

出来ちゃった結婚は本当に快楽を求めた結果なのか?

比較的若年層で起こりやすい「できちゃった結婚」

快楽を優先したゆえに起きたと、そしられやすい。しかし本当にそれだけなのだろうか?

快楽とは違う別の目的

若年層であればあるほど、性衝動は強い。
だからといって、全ての人ができちゃった結婚をするわけではない。

そこには、する人としない人を分ける何かがある。
私はそれが「愛情への強い飢え」にある思う。

人は「寂しい」に支配されると、安心を求めて他者によりかかろうとする。
互いがその状態だと、あっさりとくっつく。
そしてくっついた先に「安心」を与えあおうとする。

しかし、相手を思いやる想像力もない、気持ちを伝えるための文語表現をも知らない者にとって、「安心」を与えることは難しい。
だから自分の原始体験にある「抱っこ」を彷彿とする肌の重ね合わせにチャレンジする。

これならば、誰にでも出来る。

そこに第二次性徴で備わった性差が加わって、性交という形で帰結する。

つまり若年層における性交は、快楽は二の次で、「母や父に抱きしめられたい・安心されられたい」が目的なのである。

なぜ親子の間で愛情のやりとりされない?

親子間の抱っこやおんぶ、添い寝といった形の肌を通じたコミュニケーションも、子どもが成長するにつれて減っていく。その代わりに与えられるのが、言葉による愛情。
「お母さんはいつもあなたの味方だからね」「そうか、そんな風に考えていたんだね」「親なのに気づけなくて、ゴメン」といった言葉の数々が、肌の重ね合わせと同様の「安心」をもたらす。

ところが、親もそのような言葉を掛けられたことがないので、どうやって子どもに愛情を示せばいいのか分からない。そしてどうコミュニケーションをしたらいいか教わるところもない。
それゆえ、抱きしめる代わりに自分が知っている(思い込んでいる)、「失敗しない方法」を伝授する。

親としては愛するがゆえにやっている。
が、子どもからすると、単なる押しつけにしかみえない。

そのギャップが親子の愛情を引き裂いていく。

いつまでたっても「安心」は大事

親子の隔たりが大きくなればなるほど、子どもは「寂しい」状態におぼれ、似たような者同士でくっつき、「できちゃった結婚」をする。

それほどに「安心したい」というのは強力な力で、阻止することが難しい。

だからもし、我が子に「できちゃった結婚」をして欲しくなければ、正しい性教育と共に十分すぎるほどの愛情を注ぐことだ。

もちろん、その愛情は子供からみて愛情と感じられる形でなくてはならない。