心の流れBlog

心の守り方を考える

娘を使って自分を満たそうとする母親へ

子どもに友達がいるか、恋人がいるか、をやたら気にする親がいる。
そういう親はたいがい、心通じる友、深く愛し合うパートナーがおらず、孤立している。

だから分身である娘に、自分の代わりに周りから愛されることを望む。

それを敏感に感じ取った娘は、「愛されなければいけない」と自分にプレッシャーをかけ、愛されていても愛されなくなったらどうしようと焦り、愛されなければ親の望んだ形になれていない、と落ち込む。そして遠くない将来、親と同じ孤立した状態に陥る。

友達関係に異常な関心を抱く親

「学校で友達できた?」
「どんな子?」
「こんど連れてらっしゃい」

子どもに起こったことを隅から隅まで把握しないと気が済まない親。
思い通りの人間関係が出来ていれば喜び、そうでなければ「なんで友達つくらないの」と脅す。

そういう自分(親)は、本当の意味での友達はいない。仕事上のつながり、ママ友のような情報獲得のためのつながりばかり。
友達のいない自分にコンプレックスを感じている。
だから娘には、本当と友達をつくらせて、自身のコンプレックスを跳ね飛ばそうとする。

異性にまで関心を抱く親

子どもが幼いときは親の関心は友達だけに向いていたのが、大人になるにつれ異性へと拡がる。
「いい人いないの?」
「あの、電話がかかってきたなんとか君って、あなたのこと好きなんじゃない?」

子供にすれば疎ましいことかくのごとし。
でもそんなことはどこ吹く風。

自分がモテなかったから、結婚するのに苦労したから、あのときの二の舞はいや。娘は何としてでも早めに結婚させなければ。
その思いが、知らず知らずに娘を追い詰める。

子どもに「重い」と思われている

こんな風に、いつのまにか娘の主体性を奪って、未完の夢を実現しようとする母親がいる。

人に愛されなかった人生を逆転しようと、人から愛される娘を通して、自分も愛されているんだと錯覚しようとする。

こういう母は重い。不器用な母から器用な娘など生まれるはずもないのに、娘だけに人付き合いの巧さを求める。
その理不尽さに耐えかね、親子が断絶することも珍しくない。

自分に出来ないということは、その家は代々、そのような素養に恵まれなかったということ。恨むならいう通りにならない娘じゃなく、一族の血を恨め。

諦めることも肝心。諦めると、出来る事に目を向けられる。そうすることなくいつまでも「夢が叶えられない~」とふさぎ込んでいる人のなんと無駄な時間の過ごし方よ。

娘を自由にしてあげることが親の幸せにもなる

私の母は延々愛されることにしがみついている。重い。とてつもなく重い。そして娘にのしかかろうとし、嫌われて生きていく。
もっと出来る事があると思うのに。

そういえばうちのお祖母ちゃんも幸せそうにない生き方をしてきた。ただ時間を消費しているだけのように見えた。
それはパートナーに恵まれなかっただけでなく、愛されることにしがみつきすぎたからではないかと思う。
愛されない、と諦めていれば、もっと他の生き方を選択できたかもしれない。

手放すことで得られる御利益は大きい。
諦めたときに、本当に要るものが見えてくる。そして場合によっては自然と向こうから近づいてくる。

だから世のお母さん、娘を通して夢を実現することを手放してください。
娘を自由にしてやってください。
そうすれば、あなたも、娘も両方幸せになれます。