心の流れBlog

心の守り方を考える

生きててごめんなさい

なんにでもすぐ「自分が悪い」と思ってしまうクセありませんか?

客観的にみたらどっちもどっちなのに、謝る方が精神的に落ち着く。
謝ることが当たり前で、自己主張するなんてもっての他。

と思っているのなら、「生きててごめんなさい」という気持ちが潜んでいるのかもしれませんね。

謝ることは危険回避

謝るとは本来、自分が間違えたことをしたと認めて相手に許しを請うときに使う言葉です。
最初に「自分が間違えた」という事実がなければ、謝ることは不要。
なのに、なんにでも謝ってしまう人がいます。

謝ろうと思えば、どんな些細なことだって謝れます。

たとえば、ちょっと配慮が足りなかった。
そんなことだけで謝っていたらキリがありません。
人間の思考は常に100%ではないんですから。

それでも完璧じゃなくてごめんなさい。
って、どういうことでしょう?

もう、一般的に謝るを通り越して、別の目的で謝ってるとしか思えません。



その目的とは「危険回避」
危機に直面したとき対峙できる自信がないから、最初っから謝っておいて、危険を回避しとこっと!という思い。
いわゆる「生きる知恵」なのかもしれません。

でもそんな生き方をして、自らの尊厳はどう守るつもりでしょう?

謝ると生きてることに疑問を抱くようになる

謝ってばかりの人には、「尊厳」という概念がありません。自分は守るべき存在と思っていないので、「自分を尊ぶ」が分からないのです。

分からなきゃ分からないでいいんじゃないの?と思うかも知れませんが、尊厳のないまま生きると、生きる力が弱まっていきます。
「生きる知恵」として謝っていたのに、「生きる力」を奪ってしまっている。

本末転倒です。

生きる力が失われると、悪いことを自分のせいにしてしまって、嫌なこと全部を抱え込んでしまいます。
ついでにハラスメントする人が近くにいたら、最悪です。
全てを奪われてしまうでしょう。

そして最期に思うんです。
「生きててごめんなさい」と。

生きてていいか疑問を抱くのは妥当か?

でも「生きててごめんなさい」って、生きてちゃいかんのですか?

生きてて欲しいから、この世に誕生したんじゃないですか?
今まで誰かが世話をしてくれたんじゃないですか?

その人たちがしてくれたすべてを全否定?


間違いを犯さない人間なんていません。
でも間違いを間違いのまま放置して、謝って逃げることも許されていません。

許されてるのは、間違いに向き合うことだけ。

間違えたって、出来る事が全て無くなったわけじゃない。
その可能性を捨てて、自分が悪い、自分が悪いって逃げて、なんの意味があるんでしょう?


私も何かにごめんなさい、っていっぱい思います。
それでもただ思うだけじゃなく、どうして思うのか? 本当にそれは私が謝らなくちゃいけないことか? は考えます。

自分を守れるのは自分だけ。自分が自分の首ねっこ捕まえてぐぃって下に向けて謝らせるなんてしたくない。


私たちは考えることだけは平等にできます。
あなたが思う「生きててごめんなさい」は、妥当な考えでしょうか。

高学歴だから、社会的地位が高いから、容姿端麗だから、生きてていいんじゃありません。

あなたはあなただから、生きてていいんです。