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上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

微妙な違和感~あの世でわが子に結婚を?

未婚のわが子に先立たれた親が、結婚相手を人形に見立てて納める寺があるのだそうです。
せめてあの世で結婚を/子供の自死で訪れる親も/Web東奥・ニュース

わが子があの世で一人寂しくいるのを憂いて、でしょうか。
子供の寂しさを和らげてやりたい、親心。…分かるんですよ、わかるんですけどね、なんか違和感がある。

違和感を抱く3つの理由

違和感の正体の一番目は、
「そもそもわが子は結婚したいのか?」

一人身万歳!好き勝手に暮らしたい!という方であれば、あの世で結婚したいとは思わない。
なのに勝手に親が結婚こそが幸せと決めつけている。
人形を納めるなら、生前結婚に対する希望を述べてる人に限ると思うけどなぁ。

違和感の二番目は、
「そもそも異性が好きなのか?」

人によって同性が好きな場合だってある。親を心配させないために、そぶりは見せなかった。けど心の奥でほのかに抱く恋心はすべて同性、って可能性もなくはない。
勝手に異性が好き、とされてはあの世でまで悩まなくちゃいけない気がするなぁ。

違和感の三番目は、
「誰ぞ顔の分からん相手と結婚したい?」

戦前ならともかく、戦後、それも平成に至っては、結婚したい相手が決まってから結婚する。見た目が人形みたいに綺麗だったら誰でもいい、ということはないだろう。
やはりそこには二人で重ねた思い出、みたいなものがあってこそ、結婚という決断に至る。

そういうのを抜きにして、形骸的に「結婚」すればいい、とするのは、「どんな人と結婚するのかな」と期待を無視しているようで、なんだか悲しい。

本当に我が子を思うなら

亡くなった理由は、それぞれだろう。
戦争で奪われた命、事故で失われた命、自死にまで追い込まれた命。

どの人ももっと生きたかったろうし、未来に夢膨らませていたことだろう。けれど、その未来は実際に訪れてみないと分からない。
それを当人以外の人が、こうだったらいい、と決めつけることは出来ないと思う。

言えることは、彼らが生きてきた時代があり、刻んだ軌跡があるということ。
出来る事と言えば、それを元に、「未来はこうなったんだよ」と語りかけることじゃないだろうか。

生きる世界と亡くなってしまった世界は、厳しく隔てられている。
その隔てを超えて、あの世にまで手を伸ばすのは、生きてる側がやり過ぎな気がする。