心の流れBlog

心の守り方を考える

私は好かれるような人物ではないのか?

私の周りには、「自分は好かれていない」と感じている人が多い。
私自身、とくに好かれてるとは思わないし、避けられてる?と被害妄想的になることもある。

けど、そんなに「好かれる」ことは執着することなんだろうか?
「好かれる」ってなんだ?と考えてみたい。

好かれないの正体ってなに?

好かれない人の特徴を考えてみる。

  • もっともらしいことを言ってる優等生タイプ
  • 人の顔色ばかりうかがって自分がないタイプ
  • 言っていることが意味不明で共感できないタイプ
  • 自分に酔いすぎて取りつく島もないタイプ
  • 人から奪い取ろうとしてばかりで与えないタイプ

思いつくのは、まっ、こんなところかな。
このような性質を持つ人の特徴って、自分に意識が向き過ぎていて相手が見えてないってところなんだよね。
それも自分に向く意識は、「どう思われてるか」であって、「どう思っているかじゃない」。

繕うことに懸命で、自分の真実の姿を見ようとしてない。
そういうウソくさい目線が、好かれない原因だと思う。

好かれる人って?

好かれてる人って、全然どう見られてるか気にしていない。
いい意味で諦めてる。

私を好きな人は好きでいればいいし、嫌いな人は嫌ってればいい。
そもそも自分を好くか嫌うかは他人の自由なんで、どうこうする範疇にない、って割り切ってる。

ただ、目の前にいる人に出来る事はしようと思う。
気持ちを掛けるでも、大変さを慮るでも、ちょっとしたことに感謝するでもなんでもいい。
お金とか物とか実体をさしあげるんじゃなくて、目の前の人を勇気づけるものを渡す。

そうした結果、ウザがられたとしたら、それはそれで諦める。
もしかしたら「自分の配慮が足りなかった」と反省するかもしれない。でもしなければよかった、と後悔はしない。
突き抜けたまっすぐさがある。

人の目より自分の目の向ける先を決めよう

好かれようとする人って、「好かれること」に執着している。
まるで「好かれ」さえすれば、一丁前の人間になれるかのよう。

でもあるとき好かれたとして、明日は嫌われるかもしれない。
人の心は秋空のように変わりやすく、だれもそれを固定できない。

ただ一つ固定できるとすれば、自分が誰かを「好き」でいようとすることはできる。

誰だったか偉い学者さんが大学の時からつきあいのある友人について、「あちらは僕を親友と思っているかは分からないが、僕はあの二人を心から信頼しているし大切に思ってる」って言ってた。
変わりやすい相手の気持ちより、変わらずにいようとする自分の気持ちを固めるというのは懸命な判断だと、つくづく感じさせられる。

相手に「好き」という気持ちを持てば、気持ちはそこはかとなく醸し出され、醸成された雰囲気が相手の好意を引き寄せることはあるかもしれない。
「好かれる」ことを先んずるのではなく、「相手に出来る事(時には厳しく接すること)」をやってくのが、結局一番自分の腹が据わり、突き抜けたまっすぐな生き方へと通じる路やと思います。