心の流れBlog

心の守り方を考える

過保護に育てるのは失敗した親の人生の取り返しが目的じゃないか?

過保護な親っていまだに多いですね。
なんでもやってあげたい、子供が失敗して自尊心が傷つくのを見てらんない。
…という謎の親心から、あれこれ気を廻して、先に先にやっちゃうわけです。

親はそれを「子供のため」といってはばかりません。
ところが当の子供は、”ウザったいなぁ”と思っている。
子が訴えても、親は聞く耳を持ちません。

なぜ「子供のため」といいながら、子供が嫌だということをやり続けるのでしょうか?

過保護が加速するわけ

冷静に考えれば、「子供のため」というからには、子供が心から幸せと感じることが必要です。
ところが親は”子供は人生経験が浅いんだから、長く生きてる親がいいと言うものが正解だ” という信念の下、いいと思う方向に引っ張ります。

では「いいと思う」基準は何か?と問われれば、世間一般から見て羨ましがられ度の高いものです。
誰もが手放しで「いいねぇ~」と賞賛するものです。

分かりやすい勲章を手に入れると、説明の必要がないからラクチン。
事実を述べるだけで周りから一目置かれるから、鼻高々。

そう、本当は親がそれらを手にしたくて仕方ないから、子に勧めるのです。
賞賛を手にする未来を諦められないのは、親の方。

自分の人生に満足しない人ほど、代替え手段を使って夢を実現しようとします。

独身のときは代替えできる存在がいなかったので人生諦めるしかなかったのが、いざ自分プラスαの存在が出来てからは俄然やる気が湧いてくる。
自分の役割は、αが【完璧な】人生を歩むバックアップをする係。

となれば、αのいかなるミスも排除せねばなりません。
かくして、転ばぬαの人生を実現すべく、いっそう過保護に力が入るのです。

都合のよいストーリーを思い描く親

でも、なぜ親は自分の人生をコントロールするのではなく、子供にするのでしょう?
そこは都合の良い脳内変換です。

自分は凡人だからしょうもない人生しか歩めないけれど、私の血を引いたこの子なら私以上の人生が望める。だったら私のあらんかぎりの努力によって、この子の人生を完璧にせねば。

要するに自分は勝負のリングにはあがらんが、子供には上がれといってる。
子供はその卑怯さを薄々感じています。
だから”ウザったい”のです。
自分の勝負を子供にやらせる親が卑怯で、鬱陶しくて仕方無い。

そもそも鳶は鷹を生みません。凡人の親から生まれた子が秀才となることなんてないんです。
凡人の親の背中を見て育った子は、凡人の生き方しか学べないんです。

自分が生み育てた子なのに、秀才を目指すってどんだけ都合の良いストーリーなんでしょう。

過保護にされて苦しい人と思う人へ

それでも親は諦めません。
自分の人生の後半を、子供の輝かしい未来で彩りたいからです。
「こんな子供に育てて、あんたは偉いね」と褒められたい。

未来得るであろう甘美な賞賛をどうしても諦めることができないんです。

でも、子供は親が満足を得るために道具ではありません。
親が自分の人生をのろい、落胆し、悔いていたとしても、それは子に一切関係ない。
親の抱えた負の遺産は、親だけのものです。

親子だから、個体の垣根を越えて「融合」なんてできっこないんです。

多くの子はそれを知らずに、親の夢を実現できない己を責め、一方で夢を実現しなくちゃという重責に押しつぶされそうになっています。
素直な子であればあるほど、罪悪感という名の鎖で我が身を縛っている。

そんな子供に私はいいたい。
「あなたは親の夢なんて実現しなくていい。自分の力で勝負に出て、ときに手痛い失敗をしたっていい」
籠の中の鳥は、飼い主が亡くなったら一日たりとて生きることは出来ません。
あなたはいつまで籠の中の鳥で居続けますか?

どんなに頑張っても親の人生を子供の人生でチャラになんて出来ません。
子供は親の人生のマイナスを取り返すためにこの世の生を受けるんじゃない。
「あなたのため」の裏に隠された狡猾な意図を読み取って、親のために生きる人生から脱出を図りましょう。

自分の人生は自分だけのもの。