心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

ダメ出しされるって辛いね!ネットの世界も叩くばかり

ネット界隈をウロチョロしてると、ある事が「出来ない」人に、「そういう態度だからダメなのよ!!」的刀が振り下ろされるのを見かけます。

刀は確かに切れ味抜群なのだけど、なんだかなぁ…って気持ちにならされるんです。
実世界で怒られ、ネットでも誰かの叩かれてる様子を見せられる。

なんとも殺伐とした感じです。

なんでまたこんな風になっちゃったんでしょ?

見事な刀裁き

物事をばっさりと斬り、爽快なほどに正義を見せる技術に長けた優れた人がいます。
そういう人の文章を見てると、的を射ている具合が素晴らしくて、見ている方は爽快な気分にさせられます。

その爽快さに魅せられて、追従しようと鍛える人は後を絶ちません。
ロジカルシンキングや論理思考の本が山ほど出ていることからも明かでしょう。

でもその後は?

物語なら、悪がやっつけられて平和になりましたとさ、で終われます。
でも実際は悪とされた側にも、これからの人生があって、そのためには「心を入れ替える」場面が必要です。

なのに、そこを語られることはない。
悪人には、救済策が示されないのでしょうか?

「生まれた瞬間から悪人」という人はいません。
ほとんどの人は善人にも悪人にもなる可能性をもってこの世に誕生する。
だとしたら、五分五分でスタートですから、育て方次第でどっちにも転ぶ。

たまたま環境に恵まれなくて豊かな心が育たなかった、悪さをするようになってしまった。その人だって、「心の支え」になってくれる人がいれば、「あの人を悲しませたくない」という思いから踏みとどまることだってできたでしょう。

たった一つ拠り所となる人に出会えなかったがために、欲望のまま・感情のままに動いて悪い方へいくしか知らないまま来てしまった。
そんな人こそ、心を入れ替えるために、支えになる人が必要です。

一般的な解決方法

ところが世間から示される改心のための提案は、「悪いところをなくせばいい」です。

そうでしょうか?
今の自分を全否定して、「自分じゃない自分」の着ぐるみを無理矢理着てその人格に染まる…なんて出来るのでしょうか?

成りきるのは限度があります。
心から納得して、もしくは諦めることができて初めて、人は前に進めるのではないでしょうか。
無理に方向転換させても、心がついて行っていないので、すぐに元へ戻ってしまいます。

矯正は人の心には効きません。

聴かれることが正しい道への最短距離

だから話を聴いてくれる人に出会う。聴いてもらって初めて、支えられる感覚を手にします。そこから自分を振り返るスタートを切る。

これは話を聴いてもらってスカっとするといったのとは違います。
むしろものすごい反省が押し寄せる。

今まで目を向けてこなかった己の身勝手さや弱さ、そして自分が自分を理解していないという事実を真正面から受け止めなければならない。これは、頭も心も使う結構な作業です。苦しいです。
でも繰り返すことで、支えられることの温かさと、自分を理解することの厳しさ、そして思い通りになる相手なんていないという絶望が訪れて、穏やかで善き心へとなじんでいきます。

刀で斬って捨ててを繰り返して何になるのでしょう?
斬る以上はその先もカバーする。それが斬るものの覚悟ではないかと思うのです。