心の流れBlog

心の守り方を考える

相手を見ずにやったことはすべて暴力になるかもしれない

いつも何気なく使ってる言葉、たとえばふと湧いた疑問、ひらめきやアイデア、感じたこと、を口にするとき、相手を目の中に入れてるだろうか。

かなりの人がいれてない思う。
思いついたんだからいいじゃない!という理由で話し続けた結果、周りに人がいなくなったという40代OVERが増えている。

友達ができない、仲良く出かける人がいない。そう嘆いてる方は知らぬ間に相手を傷つけてしまっているのかもしれない。

40OVERで人と続かない理由

「学生の頃は仲が良かった友達と、大人になってから続かない」というのはよく耳にする話。
理由の筆頭とされるのが、「互いの生活環境が違って、話が噛み合わないから」だという。

確かに同類であれば、愚痴でさえも共感の材料となる。喜びも悲しみも不満も怒りも共有できる相手との話は楽しいし、「私は間違っていなかった」という安心にもなる。
これが異なる分類であれば、話が噛み合わず、共有はおろか聞くことでさえ苦痛。

一緒にいるメリットがどんどん下降していくため、続かなくなる。

しかし、本当にそれだけだろうか。

40代以降は、常識が固まっている。
そのため常識を元に話をする。それも大概だが、加えて「常識外れ」というレッテルを貼ってくる。
レッテル貼りは悲しい人間の性(サガ)なので、ほとんどの人が無意識にやっている。

けど貼られた方はどう感じるだろう。
そこに目を向けられないことが、仲違いの原因ではないのか。

人を傷つけるバリエーション

レッテル貼りは人の胸をえぐる。
未婚者に浴びせられる「○歳超えて結婚しないなんて、問題がある」
高卒者に投げかけられる「普通、大学くらい出てるもんよ」
フリーターへの決めつけ「正社員以外って、マジありえないでしょ?」

本人のそうなりたくてもそうなれない苦しみに追い打ちを掛ける。
ちゃんと相手を見ていれば、こんな仕打ちするはずがない。
でも悲しいことに、人は何か口にするとき意識の大半を自分に注ぐ。そのため、こういった行為は後を絶たない。

「いや、私そんな失礼なこと言わないし」という人でも別の方法で相手をウンザリさせている。
それは、自分語り。
自分に起きたことをダラダラと話したり、悲劇のヒロインを装ったり、自慢をしたり、ということをして、相手の時間を奪っている。

レッテルというパンチを繰り出すのか、時間を盗むのか、どちらにしても相手にとっては暴力を振るわれてるくらい嫌な気持ちにさせられている。

相手をよく見て言葉を出す

そんな気持ちにさせられたら、何をする気も失せる。
暴力振るわれっぱなしも辛いから、早々に縁切りされるだろう。

後ろで「気にしすぎ」と揶揄しても、後の祭り。
自分中心だと思っていたのが、見限りと捨て去りにあうとは、なんとも情けない話だ。

でも、それを教訓に過ちを正せば、人生の転機になる。

だからもっと相手を見て言葉を出す練習をしなくてはいけないと思う。
同時に言葉の暴力を振るわれそうになったら、「それは私にとってどんなメリットがあるのか」を相手に尋ねる勇気を持ちたい。