心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

意地悪したくなる自分を無理に抑えなくたっていい

自分を虐めてきた相手、ヒドいことを言ってきた相手につい意地悪したくなることはないだろうか?

「そんなことしたら、相手と同じになってしまうよ」という言い分は分かっても、仕返ししたくなる気持ちはなくならない。

そういう人のために、どうしたらいいのか?をお話していきます。

やられたらやりかえせとはいかない現実

つねられたら、つねり返したくなるのは人として当然のことです。「痛み」は確実に存在したし、忘れることもできません。
手っ取り早く「痛み」をなくするためには、相手にも同じ「痛み」を味わわせてやる。それでプラマイゼロで、「痛み」バイバイ。

でも世間では「そんなことすんな」といいますね。

子供を殺されたから親に犯人を殺せとは焚きつけませんし、盗まれたから盗み返せともいいません。
相手に処罰が下るようにしかるべき法的手続きを取りましょう、といいます。

その法的手続きを以て被害者の感情を晴らしましょう、というわけです。

ですが法律で取り締まれない、ちょっとイラっとすることや傷つけることを言ってきた、犯罪にもならない軽微なことをしてきた場合にはどうしたらいいでしょう。
意外とどうしたらいいかを示唆するものは見当たりません。

結局被害者は、相手を罰するか泣き寝入りするかのどちらかを選択することになるのです。

相手を見るな、自分を見ろ

しかしそれでは、相手が犠牲になって自分がスカっとするか、自分が犠牲になって相手が無傷か、のどちらかしかありません。
最終的に犠牲になった方に遺恨が残りますから、どっちもどっちな気がします。

米国の番組では、不倫している現場に乗り込んで相手をこてんぱんにやっつける番組(チーターズ)が流行っているようですが、一時のスカッとさは得られても後味の悪いものとなるのではないでしょうか。

ですから、全然違った視座から恨みを晴らすのです。

そのために、目線を相手から自分に移す。自分に集中する!
自分が今何をしたくて、何に一番力を注ぎたくて、何を幸せと感じるのか、を追求する。

「あいつが~」と考える度、自分が主人公の時間が奪われます。
それって、犠牲を強いられた挙げ句損だと思いませんか?

いつだって「あいつへの恨み」が筆頭にくる人生は、もはや「あいつへの恨み」そのものを生きがいにしてしまっています。
あいつを踏んづけて、けちょんけちょんにして、再起不能にしてやる!と考えると、エネルギーは湧いてきます。でもそれを達成した後、なにが残るでしょう。

おそらく大事な生きがいが失われて、もぬけの殻になるんじゃないでしょうか。

自分らしい人生を生きるために

自分に集中して成功を納められたら、相手はひれ伏すしかありません。「ごめんなさい」とは言ってこないかもしれませんが、確実にみじめな気持ちに見舞われるでしょう。
それこそが、最大の報復です。

成功を納めた自分にとって、相手は完全なるザコ。まともに取り合う気すら起きない相手です。今度であったら、さっさとあしらってしまいましょう。それでいいではありませんか。

自分に集中すれば、それだけあいつに割く時間が減り、苦しくなることも減るでしょう。

これは注意をそらす方法に違いはありませんが、あいつを恨み続けるより大きなものをも手に入れられます。

人生は有限です。
あいつへの恨みに割く時間はなるべく減らして、自分の生き方へ集中してみてはいかがでしょう?