心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

ネット婚活やお見合いは恥ずかしいのか?

二人の出会いがネット婚活やお見合いの場合、知り合いの紹介と言ったり、会社関係で知り合ってごにょごにょ、とごまかすことが多い。
なぜかと言えば恥ずかしいから。

(女性が)若い頃からモテず、出会いがあっても男性に見初められなかったと思われるのが怖いのだ。

でも実際、人生なんてどう転ぶか分からない。付き合っていた人と結婚するとばかりに思っていたのが、運命のいたずらでそうならなくなることなど、ザラ。
モテなかったかどうかなんて分からない。

なのになぜか恣意的な出会いは恥ずかしいのだ。

女としての価値は、引く手のあまた度?

ほとんど人の頭の中には、女性としての価値に一定の基準がある。

女性としての価値が高ければ引く手あまたで、価値が低ければ低いほど相手にされなくなる。そして見た目の美しさがピークを迎える時期に基準以上の女性であれば、求められるはず! 
つまり「普通」以上であれば、わざわざ結婚に取り組む必要なし、と。

それゆえ婚活している時点で、「普通未満」決定。

でも、それホント?

親世代がネット婚活を叩くわけ

ネット婚活を叩いてくる親世代は、一体どれだけ純粋に相手を好きになって結婚しただろうか?
過去は美男美女、器の大きい人であふれかえっていたわけではないので、現代と同じ割合とすれば、ほんの一握りの人に人気が集中し、それ以外の人は熟慮の末、別の相手との結婚へと進んだのではないか。親世代の婚姻率が高いのは、親が魅力的だったからではなく、結婚という圧力が今以上にあり且つ女性が生きる選択肢が少なかったからだ。

つまりネット婚活を叩く年配の人も、生まれた時代が違っただけで、「選ばれなかった」という事実はあったのだと思う。

自分のことを棚に上げて若い世代を批判するのは、結局の所思い出したくもない「選ばれなかった過去の自分」をもう一度見たくないからではないだろうか?

そもそも選ばれるは幸せ?

素敵な男性から選ばれ、とんとん拍子に結婚することは、そんなに幸せなことなのだろうか?

楽であることは確かだ。
努力ゼロでパートナーが手に入る。人は年を取れば取るほど心細くなるので、親よりかは年の近いツレといた方が心強い。

でも、それだけだ。
楽して手に入れたら、年を取ってさよならしたとき、次を手に入れたくてもやりかたが分からない。きっとそのときは、美貌や若さは吹き飛んでいるから、昔の魅力は使えない。それどころか、「待つ」一辺倒の人生だったために、お高くとまって嫌がられる。

求められるままに結婚した場合、自分で開拓する力をもたず酷く非力なため、不幸事があると幸せがひっくり返りやすい。

求められることが絶対軸ではない

きっと海外なら出会い方はどうであれ、二人の結婚を素直に祝福してくれるだろう。
そしてあと20年後くらいには、ネット婚活が当たり前になるかもしれない。

ということは、今我々が抱く固定概念がネット婚活を恥ずかしいものとしているだけで、実際は恥ずかしくもなんともないことなんだ。

ディズニーのシンデレラ物語が王子様がシンデレラを必死で探すストーリーにしたから、選ばれることが幸せと我々の頭にすり込まれただけ。
いってみれば詰め込み教育の弊害。

どうあったって、二人が協力してよき家庭を作れればそれでいいではないか。
外野は、どうこう言い過ぎ。

ネット婚活もお見合いも恥ずかしくないことだ! 胸を張って生きて欲しい。(数年前は違う考えだったので、最近考えを改めました)