心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

身勝手な行いの責任を子どもになすりつける親

疎遠にしていた親が詐欺にあって、「血の繋がった我が子より、赤の他人であってもやさしくされた方がいいんだよ。」という親を前に愕然とする子ども。「ごめん。今まで冷たくして。これからはちょくちょく顔を出すよ」という子どもからの歩み寄りで終わるドラマ、にイライラします。

なんか大切なこと、抜けてない?

自分の尻を子どもにぬぐわす

詐欺師は知っています。「人は寂しい生き物」だと。
だから心の隙間に取り入って、「おばあちゃんみたいな優しい人に会ったことない。ボクはおばあちゃんの顔を見たくてここにやってきてるんだ」とやたらおばあちゃんの存在を持ち上げます。

誰にも相手にされない、大切にされない人の心は「受け入れられたい飢餓感」でいっぱい。愛情に飢えたところへ、すかさずどうぞと差し出されるのですから、拒否することは困難でしょう。

ですが、そもそもなぜ人が寄りつかないのか、子どもと疎遠になるのか、といえば、一緒にいても楽しくないから、もしくは不快だからです。
人は人が好きです。でも嫌な気分にさせられたり傷つけられたりする人のことは嫌いです。
親というのは無意識に子どもより上と思っているところがあり、命令したり、押しつけたりといった行動をします。それに嫌気が差して子どもは逃げていってる。つまり子どもを遠ざけているのは他ならぬ親の意識なのです。

このドラマでは、親が子供の気分を害しながら、身勝手に寂しさにおぼれて、不適切な相手に金銭を渡し、自らの過ちを子どもに謝らせて決着をつける、というとんでもない責任転嫁が描かれています。
それをまるで美談のように崇める文化ってどうなのでしょう?

変わるべきは親では?

人は痛い目に遭わないと改心しません。でもこのドラマに改心のしどころはない。ただ子どもが「自分が折れなきゃ」と自らを貶めて、自尊心を下げてるだけ。いってみれば子どもイジメです。

でも親は高齢だから変わりようがない? 

高齢になれば頑固になることは否めませんが、だからって反省しなくていいということにはならない。自らの過ちは自らで責任を負わないと。
社会がこれだけ高齢者を大切に! というスローガンを掲げても、万引きをするお年寄りやストーカー行為に走る老人が減らないのは、彼らが自分を省みることなく生きているからでしょう。

今からでも遅くない、考えを改めては?

老齢の人にとって、お寺さんというのはそこそこ身近な存在だと思います。そこで自分の生きてきた軌跡を振り返り、「本当にこれでよかったのか?」を振り返る。それくらいのことは、現役を引退した人なら出来るでしょう。

人生に正解はない。だからこそ、考え続けることです。