心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

「過干渉とネグレクト」実はやってることは同じ!

子どもに構いすぎの過干渉
放っておきすぎのネグレクト(育児放棄)

一見すると真逆の行いに思える。

確かに両方とも「極端」に走り過ぎてて、それが子どもに悪影響を及ぼしている。
では「極端」だけが悪いのか? 

実は掘り下げていくと、別の根本的原因が見えてくる。

果たして共通する子どもに悪影響を及ぼす原因とは?

子どもの心の成長に欠かせないもの

まだ自我の出来ていない子どもはどうやって、「自分」を理解していくか。

それには周りからの注目だ。

「かわいいねぇ~」「えらいねぇ~」「そんなことも出来ちゃうの!!」
温かい眼差しとともに掛けられる言葉によって、自分がどう見られているのかを実感する。
この小さな体験が積み重なって、やがて「自分」への理解につながる。

この時期の「注目」は、子どもにとって食事と同じく欠かせないもの。

過干渉な親とネグレクトな親に欠けてるもの

では、過干渉とネグレクトの親は、子どもに「注目」しているのか。

過干渉な親は、子どもではなく自身を見ている。ダメ親呼ばわりされるのが怖くて、なんでもかんでも先に手を出す。子どもが自発的にやろうとすると、親が先に正解してしまい、貴重な体験を奪っている。発表会などの「注目」される華やかな場面であっても、ちょっとのミスを咎めてくる。
子どもがされてるのは「注目」ではなく「監視」。心がぎゅっと縮こまる。

ネグレクトな親は、はなから子どもを見ていない。子どもがピンチに陥っても、手を貸すことすらしない。子ども特有の「見て見て」アピールは華麗にスルー。
心を受け止めてくれる先を失った子どもは、次第に意欲を失い、心を閉ざす。「注目」されるどころか、存在さえも「無かったこと」にされている。

このように子どもの心に無頓着な親、見ようともしない親、これが過干渉な親とネグレクトな親がやっていること。
彼らは子どもに「注目」しないし、する意味も分かっていない。

「注目」がもたらす心の強さ

注目があるのと無いのでは、脳内にイメージする「自分」が違う。

誰かと向き合っているとき脳内に浮かぶのは、
「注目」されてきた子どもは【応援してくれる祖父母と親】、
「注目」されずにきた子どもは【監視してる親の顔 もしくは 離れてく親】。
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応援隊がいる(と思える)から、心は落ち着くし、ガンバローって思える。いい所を見せたくて実力以上のものを出せる。
「注目」が心の中に定着すると、それだけで人は強くなれる。

それに比べて「注目」されてこなかった子が持つイメージの、なんと寒々しいこと!
非力な自分が独りぽっちで相手に向かうんだもの。緊張するよね、チビりそうになるよね、泣きたくなるよね。

子どもに「注目」しない親は、親失格

子どもは衣食住が足りてれば、いっぱしと大人に育つんじゃない。「注目」という心の育成剤がないと。

「注目」が欠けると、臆病になったり、ナメられないように強引で向こう見ずになったり、他人とのインタラクションがド下手になる。

そんなのでは、人付き合いがものをいうこの社会を乗り切っていけない。困ったときに助けてくれる友人もできない。家族を作るなんて夢のまた夢。
社会からも人からも孤立して、生きるのが困難になる。

子育ての集大成がそれ?
そんな大人に育てたかった?

親の唯一の仕事は、「子どもに寿命まで生き抜くサバイバル能力を身につけさせること」。
だったら、ちゃんと子どもに「注目」しよう。

それをしないでいつづけるなら、もはや親失格だと思います。