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心の流れBlog

心の守り方を真剣に考える

「弱い者イジメはあって当然」という認識からスタートする

「イジメは卑劣だ。世の中からイジメを一掃しよう!」という動きが出てから何年経つだろうか。

イジメはなくなるどころか、地下に潜んでますます分かりにくくなった。ということは、黙っていてお助けマンがやってくる可能性が少なくなり、イジメられた当人が声を上げるか、反撃するかしかなくなったということ。

もうこれは、イジメありきで考えるしかないんじゃないだろうか?

理(ことわり)には逆らえない現実

水は高いところから低いところへ流れていく。
風は温かいところから、冷たいところへ向かって吹く。
動物は力の強い者が支配者となり、その他大勢は従うに徹する。

すべては昔から脈々と継がれる理に沿っている。

では人間はどうか。
力の強い者が支配し、弱い者が支配される。強い者は面倒なことも嫌なことも全部弱い者に押しつける。

そうやって人は生きてきた。組織を作って生き長らえてきた。

これらは無理なく自然とそうなったこと。今みたいに理性や知識でなんとかする以前からあったもの。
あるものがある状態でいるとき、そこには必ずその環境にマッチした理が存在する。

感情に関してはどうだろう?

では感情に絞った理を見ていくと、強い者がもつ感情が弱い者へと流れていく。
感情は、聞いてくれそうなところ、言っても文句の言われなさそうなところ、に向かう。

その感情が高尚かどうかなんて関係ない。あくまで力関係によるのだ。

昨今のイジメは、この力関係に支配されている。気弱で、発言しない人に向かう。
言い返さないということが、格好の安心材料となり、感情の投げつけが加速する。

投げつけられる側が、水の流れをせき止めるような行動に移らない限り、理は理としてありつづける。

イジメから目を反らす現在

こんなにしっかりと理があるのに、人々はまだ、支配・被支配の関係を否定する。
まるで都合の悪いものは、漂白して消してしまいたいみたいだ。

学校でイジメがあったかの調査で、「ありませんでした」とうそぶく学校の多いこと。
それだけみても如何にイジメから目を反らしているかが分かる。

あるのは当然だ、だからといって看過できない
というのが本来の姿なのに、
そんなもん、最初からありませんよ、って。

それでは改善するものも、しない。

イジメの理は早めに打破を

継続するイジメには、構造的問題がある。構造は理によって形作られ、継続させられる。

イジメの始まりは些細なことだ。人の勘に障ることを言ってしまった。標準より体格が違った。能力がちょっとだけ劣っていた。
でもそれはちょっと配慮が足りなかったとか、偶然神様からもらったものが特異的だったというだけ。

生まれたばかりの理は、周知の事実というほどの力を持たず、早めに芽を摘み取れば、なかったことにできる。
それを放置するから拡がって、気づいたときには皆が理に沿って動くようになる。そこから形成を逆転するのは骨が折れる。

イジメなんてどこにでもある。イジメに巻き込まれないためには、始めが肝心。
バカにされたのをへらへら笑って見過ごすことのないよう、ちゃんとケンカする方法を身につけること。

ケンカは知性を磨く

ケンカというと腕っ節の強い者どうしのとっくみあいのように野蛮な行為に思えるが、実はそうではない。

心理戦だ。

メンタリストがつぎつぎとゲストの選んだものを当てていくように、イジメてきた側の理由を当てていけばいい。

”相手が自分を気にくわないと思う理由はなにか? ”。

それが分かれば、理由に気持ちを寄せていって、味方につければいい。
「オマエ、オレのこんなところが気にくわないんだな。オレも変えたいと思ってるんだけどな、なかなか上手くいかないんだよ。力貸してくれない?」とか
「オマエ、オレのこんなところが気にくわないんだな。でもそれは自分ではどうしようもない。神様が決めたことなんだ。もしオマエがオレなら、どうやってそれを乗り越える?教えてくれよ」

こんな風に言い寄られたら、相手も攻撃する気が失せて、風当たりが弱まるだろう。

人は分かってくれないとき、他人に辛く当たる。裏を返せば分かってくれたときは、辛く当たれなくなる。
相手が何に縛られて分かってくれないとイライラしているのか見抜けば、ケンカに勝てる。

相手の考えを見抜くということは、ひたすら思考にフォーカスして、”人の行動を決めるものはなんぞや? ”と考えることである。
それは知性を磨くことに他ならない。

ケンカこそが生き抜く術

私たちは知識の溜め方は習っても、知性の磨き方は習わない。
だが、理を打破するためには、知性が必要だ。特に弱い者にこそ、知性は必要だ。

ケンカできるようになることは、この世を生き抜く術だ。
富を牛耳るコンサルタントや証券マン、商社マン、経営者は、穏やかに見えて、実は奥に静かな闘志を持っている。
その人たちの中に人として熟成していて、もはや人に対する闘志ではなく、「世界をよくするため」「人々の生活を向上させるため」「ずっと放置されてきた問題を解決するため」という大きなものを相手にしている人たちもいる。

だが、基本的はケンカだ。変えようという意思だ。

あるものを、ないふうにするから、世の中がおかしくなる。
もっとあるものをあると見なして、あるものへの対処を考えることがイジメに留まらず問題を解決する唯一の方法だと思う。