読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心の流れBlog

心の守り方を真剣に考える

受け身な考えをもつ親は子育てに失敗する

受身思考

心理カウンセラーの大間秀章さんがちょっと前に語った「子供が『自分の感情を言葉にできなくなる』親のNGフレーズ4つ」を読んで、結局の所、受け身な考えをもつ親は子育てに失敗することを痛感させられました。

フレーズ毎に追っていく

まず最初のNGワードは
NG1:「ママを怒らせないで!」
大間さんは「怒っているのは私(母親)であり、感情の焦点が自分自身に向いている発言」と言っています。

確かにそうです。子供に「私を怒らせるような【もてなし方】をするんじゃない、我が子よ。」と言ってるようなもんです。母親はもてなされる側、サービスを受ける側という立場を固持しています。

NG2:「なんでできないの!」
大間さんは「そもそも理由を子どもに問いかけても、説明能力の乏しい子どもは困惑してしまいます」と言っています。

大間さんのおっしゃることも一理ありましょう。でもそれ以上に、母親ができない理由を子どもにあることにしてしまっている。
「なんで」の裏には「出来て当然」の思いが隠れています。その「出来て当然」は何を基準に決まっているのか?を母親は理解していません。
私(母親)の期待が過大かを省みることなく、なんとなく周りが~とか、自分の常識の中では~、といったあいまいなレベルを基準とするのは、よく考えずに周囲に流された結果と言えましょう。

NG3:「どっちなの?はっきりしなさい!」
大間さんは「論理的に説明ができない子どもは、この類いのことを親から言われると困惑してしまい、思ったことが言えなくなってしまいます」と言っています。

経験の浅い子どもが、大人と同じペースで物事を判断するのは、不可能です。迷ったり、答えが出ないこともありましょう。問いが難しければ、大人であっても答えに詰まります。
選択できないなら、できないなりの理由があります。経験豊かな大人がそこを慮ることなく、ベルトコンベアー式に運ばれてきた選択肢をYESかNOかに分ければよい、とするのは、深く考えることへの放棄です。

NG4:「これくらいできて当たり前なんだから!」
大間さんは「いわば親側の主観からでた”こうすべき思考” です。」と言っています。

自分で思い込んでる「出来るレベル」に到達していない子どもを、「出来ない」に分類してしまって、「出来ない」ヤツが悪いと子どものせいにしてしまっています。自分の教育方法が悪い、自分から継いだ遺伝子の問題かもしれない、と省みることがありません。最初から完成品のような子どもを求めているのですから、はなから子育てを放棄しているのです。

子育てに失敗するプロセス

もてなされる側であることを固持し、周囲や常識に流され、深く考えることを放棄し、完成品の子どもを欲しがる。
これって、”なにもしなくても完璧に子育てを終えたい”と言ってるようなもんです。

苦労も苦難も味わいたくない。迷いも選択の苦しさも経験したくない。嫌なことを全部拒否した人生を歩みたいのです。

逃げ腰な人生は、嫌なことを避けながら歩むので、子どもにも逃げ癖がつきます。結局育つものも育たず、身体だけが立派に生育された大人が出来上がります。
鋭い判断力も、屈強な精神もなにもない、中身が空っぽの大人を生産してしまうのです。

社会は子どもに「あなたは何が出来ますか?どんな風に社会に貢献できますか?」を問います。そのとき「なんにもできません。強いて言えば迷惑をかけないことです」としか言うことができず、不要と判断されるでしょう。

せっかく何十年もかけて生育したのに、目の前にはなんにも生みだせない(と思い込んでる)子が突っ立ってる。これが受け身な親の子育てのなれの果てです。

親が積極的に生きれば、子どもの人生が豊かになる

親が「あれも嫌だ、これも避けたい」という生き方から、「これを掴んでみよう、これを試してみたい」という生き方に変えると、新しいことに向き合う難しさにぶつかり、出来ないとはどういうことかに気がつけます。すると子どもの出来ないに寛容になれます。子どもも出来ないことを責められないので余裕をもって考えられるようになり、いろんなことに挑戦し、出来るようになります。

出来ないことが悪いんじゃない、出来ないことを出来ないと切り捨てて、そこで考えをストップしてしまうことが一番の問題です。
それに心から気づくためには、親が受け身な人生からの脱却を図ることです。