心の流れBlog

心の守り方を考える

注意ばかりするから肝心なときに注意を払えない子が育つ

親であるあなたは、子供をまともな人間に育てるべくこのような注意をしていないだろうか?

  • 騒いでいる子に「静かにしなさい」と言う
  • 土足で交通機関の座椅子に登ろうとしている子に「靴を脱ぎなさい」と言う
  • 泥だらけの手でご飯を食べようとする子に「手を洗いなさい」と言う
  • 食事のマナーが出来ていない子に「みっともないから、きちんと箸を持ちなさい」と言う

これらを教えることは親として当然でしょ?、と問われたら、うなずく以外ない。ほとんどの親はこうやって”生活のあらゆることを細かく注意していけば、まともな人間に育つだろう”と信じている。

しかし細かく注意していって、どこに合格ラインがあるか?といえば、案外答えられない。従って、まともな人間に育てようとやっきになってる親の前に立たされた子供は、終わりなき注意を受けることとなる。
何度も何度も繰り返し受ける注意は、子供の脳を注意をされるのに適した形に作り上げる。

脳の状態を自動車運転にたとえるなら、ブレーキの上に足を置いて、なにかあったらすぐに踏み込める状態。
ブレーキをあまりに踏みすぎて、全然前に進めないか、ブレーキパッドが焼け切れてブレーキがまともに効かなくなってる。

自動車と同じく人間の脳も、親に決めてもらわないと何事にも前に進めなくなるか、親の言うことを全く聞かずに手の施しようのない状態に仕上がっていく。
このように受動的もしくは自己中心的な脳をもつ子は、自分で考えることが出来ない。よって、イジメられても反旗をひるがえす術を持たず、とっくみあいの結果になってもどこまでやればヤバいのかの判断がつかない。

それでも子供の時は非力さも手伝ってある程度の範囲に押し留まる。ところが青年期以降、身体的・金銭的な力をつけはじめると、シャレにならないほどの悲劇を生む。昨今の若者による凶悪な事件は、快楽や欲の追求のために他人を犠牲にすることへの考えに至らなかったからではなかろうか。当人の問題でもありながら、親の育て方の問題であった可能性も十分にある。

考えられないというのは、致命的問題だ。危機迫る状態のときでさえ、我慢の石になるか暴君になるかしかないのだから。そのような極端なやり方は最終的に身の安全を脅かし、未来を奪うことになる。

まともな人間に育てようとした親が肝心なときに考えられぬ子を育てたというのは、皮肉としかいいようがない。
親が躾として注意できるのは、どんなときにどんな風に考えたらいいかを促すことだけ。命令することではない。