心の流れBlog

心の守り方を考える

心の中に人のランク付けがあることを認めよう!

建前上、みんな平等みんな同じだけ大事。
でも実際は、憧れの異性とセフレ、たった1回の相談に乗っただけで感謝される人と毎日愚痴を聞かされる人、と言ったようにシッカリ上物と下物に分かれます。

実生活に役立たない建前はもういいです。生活に密着した物の考え方を受け入れる方が、現実的。

上層と下層を分ける壁

全員が誰かにとっての上物でいられるなら、そりゃけっこう。だが実際は集団になったときから、上層、下層に分かれる。両者を分けるのは、持っているものの多さ。

美貌、会話の面白さ、頭の回転の良さ、秀でた身体能力、豊富な資金力。そういったものに恵まれると、上物扱いされやすい。

生まれながらにもつものが少ないと、下層に属するしかない。
やっぱり持つものが多い側は、強い。

両者を隔てる何か

だからといって、生まれながらにもたざるものが生涯下層に居続けるか、というとそうでもない。
立場の転換となる鍵は、希少性。

ダイヤモンドは、その希少性故、多くの人を魅了し、高値がつく。よって手に入りにくい。
そのことがダイヤモンドに大きな価値を与える。

ダイヤモンドを人と置き換えて考えると、滅多に会えない人、望んでも会うことが難しい人と会うことは、価値あることであり、当然、その人は上物扱いされる。

簡単に手に入らないこと。それが上物と下物を隔てる。

自分を優先することが、自分を上物に押しあげる

お願いされたら断れない、人に合わせるのが得意、という人は、望めば会える人に分類される。自分スケジュールより、相手から求められること自体を優先する為、全てをなげうってでも相手に合わせる。こういう人は間違いなく下物扱いで終わる。

常に自分優先、空いてる時間だけ人に合わせる人は、なかなか会うことができない。スケジュール変更を打診しても、自分事優先と判断したなら、首を横に振る。結局相手がリスケジュールすることになる。
面白いもので、思い通りにならず振り回された方が、相手は価値があると錯覚しやすく、会うことそのものをありがたく感じる。

ということで、何事も自分を優先する方が、相手から大切にされる。

自分優先にしたら、大切にされるじゃなく見捨てられるのでは?

このことを突きつけると「自分勝手やってたら、そっぽ向かれない?」という疑問が出てくるだろう。私もそう思う。だが、彼らはそっぽ向かれるどころか、益々求められる。

そっぽ向かれるのは、元々一緒にいて面白くない、楽しくない相手だから。価値ないと思っているものが遠ざかろうがどってことない。あくまでも楽しいとか嬉しいといった感情をもたらす力がないと。
惰性で一緒にいるんじゃなくて、一緒にいるときはめいっぱい一緒を楽しむ!味わう!ということのできる人が、周りから求められる人だ。

相手を楽しい!と思わせるには、相手の話をちゃんと聞くこと。アクティブリスニング。これが出来ると、話てる人は話することが楽しくて仕方なくなるので、また話したいなという気持ちが湧く。
楽しくない相手とみなされてる人は、相手の話を受身的に聞いてる。予想どおりの反応、通り一辺倒の返事は、話している人の意欲を減退させる。

話を聞くには、それなりの技量が必要だ。

ランクがあるって知るから、その先が続く

みんな平等でしょ?と思うと、聞く力を鍛えない。自分を”ありのままでOK”と勘違いする。生涯たくさんの物を持ち続けられるのなら、その力鍛えなくても平気だけど、大概の人は中年以降天性のものだけでは太刀打ちできない事態に遭遇する。
そのとき発揮するのが、鍛えてきた聞く力。

現実離れした思想を教え込んで、大した実力も無いのに社会という荒波に放り出すのは、間接的ないじめ。ちゃんと世の中厳しいよ、って教えて、社会に放り出される前にきっちり実力をつけさせる方が、ずっと本人のため。

目の前のランク付けにグザグサ身を刺されて、痛いなぁ~ってうずくまる。そこから全てが始まるんじゃないでしょうか。