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心の流れBlog

心の守り方を真剣に考える

親子の間のイジメが、ACをつくった

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ー子供をいじめる親はいないーそう思っているかもしれない。
だが、親が子を憂さ晴らしのサンドバックにしたり、食いものにしたり、なんてことはしょっちゅう。
力の弱い子供は、それに耐えるしかない。
もし大人になって尚、因縁をつけられても押し黙ってしまったり、相手を説き伏せることができなかったのなら、親からいじめを受けていたと考えていいだろう。

イジメとは?

イジメとは、主たる原因もないのに一方的に責められること。
いじめる側の理屈で、いじめられる側が不快にさせられること。

親が十分な説明もなく、「~しなさい」や「~しちゃダメ」というのは、立派ないじめである。
いじめる側の理屈で振り回されることは、いじめられる側からしたら人権の侵害であり、支配である。

それは、学校などで力を持つ子供が「オマエ、○○しろよ~」「△△すんじゃねーよ」と弱い者いじめするのとなんら変わりない。

親が子をいじめるのは、過去に不当な扱いを受けたことに憤っているからだ。
親の親(祖父母)から、”子供なんだから口答えせずに聞け” と言われたときに抱いた悔しさを、大人になってから弱い相手にぶつけてる。そうやって憤りを浄化しようとしているのだ。

いじめがあったか、なかったのチェック

私の親は、私を十分愛してくれたのか、いじめてきたのか、を判別するために、以下のことを想像してみよう。

  • 学校で問題があったとき、なんでも親に相談できた
  • 何をするにも、子供の意向をまず訊いてくれた
  • 落ち込んでいるとき、そっと支えてくれた
  • 大人になった今でも親から連絡が来ると嬉しい
  • 独立後も親と適度な関わり合いを持ちたいと思う

これらにすべて心からYESと言えれば、それは間違いなく愛されてきたと言える。
それに対して、どれか一項目でもひっかかれば、そこにいじめはあった。

学校で問題があったとき、なんでも親に相談できた

これは、親に心配かけないように自分で処理するのが正しい、と思っている人から異論がでそうだ。
だが、なぜ心配かけまいとするのか?が問題だ。
自分の話をじっくり聞いてくれ、鮮やかに解決してくれるスーパーマンがいたら頼らない人がいようか?
親が普段から「忙しい」「厄介ごとはもってくるな」というオーラを出していたり、相談したら大騒ぎをして子供が恥ずかしい思をさせられるから、話さないのではないか。
心配かけまい、は美徳でもなんでもない。単なる信頼関係の欠如。親という存在そのものが、心の支えの真逆に位置してる。

何をするにも、子供の意向をまず訊いてくれた

子供には人権がある。お母さんの子供である前に、尊厳を守られるべき一人の人間である。
ところが、お母さんの子供だから、お母さんの言うことは聞いて当たり前、という考えが定着している。

以前哲学者の岸見一郎さんの2歳になる子供さんの話で、コップに入った牛乳をこぼしてしまったとき、まず最初に「どうしたらいいか、知ってる?」と問いかける姿勢に感銘を受けた。日常の風景に子供の意見を尊重することの大切さを気にしている親はどれほどいるだろうか。

離婚のときどちらの親についていくか、進学先をどこにするか、といった重大な話には子供を参加させる体をとるが、それ以外はさっぱり、というのも珍しくない。

落ち込んでいるとき、そっと支えてくれた

落ち込んでいるとき、無理に話を聞き出そうとするのは、相手の衣服をもぎとって生の状態をさらけ出させるいじめだ。
「大した問題ではない、繊細すぎる」と決めつける行為もまた、心を踏みつぶす愚行だ。

親だから子供の全てを知りたい、子供を強く育てたい、と思うのはただのエゴ。
子供の心を無視して、土足でヅカヅカと上がり込む行為は、ただの縄張り荒らし。

大人になった今でも親から連絡が来ると嬉しい

親からの連絡を嫌だと感じるなら、親の言葉に傷つけられてきた可能性が高い。子供の気持ちも都合も考えず連絡してくるのは、子供に親を断る権利がないとか、親に従うべきという傲慢な心があるから。
子供を支配できると思ってる時点で、自分だけが偉い選民主義に陥ってる。選民主義はいじめや差別のはじまり。

独立後も親と適度な関わり合いを持ちたいと思う

いじめっ子から距離を置きたいと思うのは当然。一度関わり合いを持てば、またいじめられる。
会いたくない、がいじめを受けた何よりの証拠。



信頼の欠如、人間としての尊厳を守らない、縄張り荒らし、選民主義、いじめられる可能性の示唆。このどれもが子供の心に深い傷を負わせる。
だたの一つでさえもあれば、そこに確かにいじめはあったと言える。

いじめがACを作る

おぎゃーと泣いた直後、初めてこの世の中とリンクしたとき、どんな怖れも脅かしも感じることはない。ただ本能のままに伸びやかに自分を生きる。それが永続するなら、この世にACという概念は生まれない。
実際はただ生きてるだけなのに、様々な圧力が掛かる。親の気分を当たり散らされ、親の自慢として使われ、便利な道具として居ることを求められる。道具である子供は黙り、意思表示の自由を奪われる。そうやって、さも人権が無いかのように扱われることが、子供の心をゆがめる。

自由に感情を出すことを禁じられ、時には嫌いなことにも好きと言わざるを得ない圧力を掛けられると、成人してからも、言いがかりをつけてきた奴らに嫌といえずじまいになる。

ACは感情の出せない病。降りかかってくる理不尽に立ち向かう術を持たない発達未成熟な状態。ちゃんと心が自立出来てないから、つけいられやすく、バカにされやすい。

そんなACへの処方箋を次に書いていこう。

人間の見方を変える

今もって信仰されている

「親は子供を大切にする」

は、自分のDNAを継いだ個体を存続させるための生物の仕組み。優しさとかじゃない。

親もまた一人の人間だから、ストレスが溜まったら弱い者いじめをする。無意識に毒を吐く。
父親の文句を子供に言うのは、子供の半分を否定しているのと同じ。だけど子育て不参加や不倫に走る夫を許せず、子供に愚痴る、なんてことよくある。

それくらいの毒なら、個体を傷つけないよね、生命を脅かさないよね、という奢りが子供の心を痛めつける。

一般家庭で起こっているいじめは肉体的ではなく精神的なものがほとんど。
肉体的なものは、児童相談所に通報されて保護が受けられるのに対し、精神的なものは、どこからが傷つくかの線引きが難しく、また一見すると生命の危機とは捉えられないため、家庭内の問題として処理される。

そんな中で子供がとれる手段はたったの一つ。

信仰を捨てろ!

親はあなたの味方じゃない、世界中どこを探しても味方なんていない。
ただ、奇跡的にエゴを超えて他者を守ろうとする者に出会う。そういう人との絆を育てていこう。

親だから尊いわけじゃない。衣食住用意したから、教育を受けさせてくれたから、育ててくれたから、恩義を感じなくてはいけない、のではない。
本当に恩義を感じるのは、自分に敬意を示してくれた人だ。
自分を人間として自覚させてくれた人だ。
犬猫豚のような動物としてではなく、トロフィーチャイルドとしての子供ではなく、凸凹の自分に人間として接してくれた人だ。

親が子供を大切にするの延長で ”みんなが自分に味方してくれる、黙っていればいいように計らってくれる” と思ってるから、大人になってもろくすっぽ武器も持たないまま。

誰も守ってくれないことを覚悟しよう。
孤独を真正面から受け入れよう。
人を裏切り者扱いする前に、真実を見抜けなかった己の目を省みよう。

誰もが、自分のエゴのために生きてる。それが血の繋がった親と子の間柄であっても。
それは相手を敵視しようと啓蒙しているのではない。人間だれでもエゴを優先するのが自然の摂理、と捉えて欲しいと訴えているのだ。

だから自分をいじめてきた親を嫌う自分を責めないで欲しい。もう、信仰は捨ててしまおう。

おまけ~一生懸命育てたのに!という親の反論に対する答え

子供の衣食住を用意するのは、親の務め。子供を産んだのは自分の意思なのだから、子供が一人立ちできるまで責任を持つのは、負うべき義務。

じゃあ、教育はどうなんだ?という話。
教育は何かとお金が掛かる。その部分を端折らなかったのだから感謝されるべきだ!と声高に叫ぶ親がいたとしたら、相当のご都合主義。
子供は最初から大学に行きたいなんて思わない。親が、いまどき大学を出ないと恥ずかしいからと、子供をそそのかして大学に行かせようとしただけ。

塾の費用がかかるという嘆きは、親が子供の勉強の面倒見るのを放り出してアウトソーシングしてるのだから、あたりまえ。
いやだったら親が勉強をみてやればいい。それにもともと学校で必要なことは教えてくれる。塾に行かないと、という強迫概念に取り付かれてるのは、親の方。

あまり子供に入れ込みすぎて、身の丈を超えた投資をすると、後に感謝されなかったときものすごい怒りを生むよ。
子育てに、過度な身の削りは禁物。自己犠牲は感謝されたい病に罹患した患者の典型的症状。