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心の流れBlog

心の守り方を真剣に考える

自分さえよければ何をしても構わないという暴力

娘の身体の変化をSNSで全世界に発信した愚かな親が話題になっている。
親がそのまた親からされて嫌だったことを、子にやる無神経さ。
なぜ、こんなことが出来るのだろう?

人間は自分中心に考えてしまう生き物

集合写真を撮ったとき、自分が目をつぶっている写真は除けて、かわいく映っている写真を選んだことはないだろうか。
人間とは、なにを差し置いてもまず自分を意識するよう作られている。

しかし親となれば別だ。
子供を守り、育て、共に喜ぶ。

ところが、この母親は違った。自分がされて嫌だったことを平気でやってのけた。
理由は、母親が娘の成長に歓喜したから。子供の心を守るという概念はすっぽり抜けているらしい。

親になったのに、子供守らなきゃなんないのに、なぜ自分優先?
こういう大人をただ産んだだけの人、というのだろう。

周りが見えてないと、ときに暴力になることも

親にとってよくても、子供にとってはどうでもよくない、むしろピンチなことがある。
一人一人価値観は違うし、立場が違えば物事の軽重も変わる。

場合によっては、殴られたのと同じかそれ以上に傷つき、二度と戦えなくなることさえある。
心の受け付けられたトラウマというのは、未来への希望をもぎとる。

この少女が受けた暴力は、おそらく癒えることのない一生の傷になるだろう。
手を出す暴力だけが暴力ではない。相手の心を軽んじ、身勝手に振り回すこともまた暴力である。

暴力は取り返しのつかない事態を引き起こす

「やりたかったからやった。気の緩みからやった。」
やった方はたいしたことないとくくり、やられた方は取り返しが付かないと絶望する。
やられた方は、絶対にやった方を許さない。

この母親は、きっとこれまでにも娘を傷つけてきたことだろう。
今回はたまたま表沙汰になっただけ。
きっと娘が大人になったとき、真っ先に母親を捨てる。

自分を傷つけた人はたとえ肉親であろうとも許すことは出来ない。
娘の母に対する信頼は潰えた。
親自ら子供の信頼の糸を切るなんて、なんと愚かな行いだろう。

覆水盆に返らず。この件で信頼していた母親を失った娘がなんとも気の毒である。