心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

とっさの言葉が表すもの

あなたは、目の前にとんでもないことが起こっている人を見て、なんて言うだろうか?
その時の言葉一つが、あなたは何を見ているか?を露わにする。
見ているもの一つで、あなたの印象はずいぶんと変わる。
見ているものの差が、どこから生じるのか、どうやったら変えられるのか?考えてみたいと思う。

あなたはどのタイプ?

子供が牛乳の入ったコップを倒した。
それをみた親であるあなたは、つぎのうち、なんと言うだろう?

①ちゃんと見てなさいっていったでしょ
②なにやってんの!!
③大丈夫、すぐ拭くからね

ぼーっと子供を見ている人は、①ないしは②と答えるだろう。
①は、あるべき像からズレた相手を叩く行為であり
②は、驚いた感情を、そのまま表出する行為である。

何かを意識しなくても、さっと出てくる。

対して、積極的に子供を見ている人は、③と答える。
自分の感情がどうであれ、まっさきにいつも見ている子供の心が気になるからだ。

見ているものの違いが生み出す差

子供がいる。コップを倒した。←これは、見たままの世界を見たとおりに解釈している目線
コップを倒してしまって、”しまった”と思っている子供がいる。←これは、子供の心を解釈した目線。

目線によって、自分の中に最初に飛び込んでくるものが、変わる。

そんなのどっちでもいいじゃん!と思う人もいるかもしれない。
だが、我々は意外とこの目線に影響を受ける。

今、目の前に見たままの世界を見たとおりに解釈する目線の持ち主Aと、相手や自らといった人の心を解釈する目線の持ち主Bがいるとする。
AもBも共に仕事をきちんと仕上げるタイプだ。

Aさんに仕事を頼むと、超高速に正確に仕上げてくるが、なんだかぶっきらぼう。
Bさんに仕事を頼むと、すばやく誤りなく仕上げてきて、丁寧さが滲み出る。

同じ結果なのに、AさんとBさんでは、周りに抱かせる印象が違う。

いわゆる「なんか、怖い感じ or ええ感じ」の「なんか」に相当する部分が、この目線である。

どうやったら、心を解釈する目線が手に入る?

人の心に目を向ける習慣は、親や周りの人の背中を見て習得することが多い。
おそらく、憧れたり尊敬するような人が周りにいて、知らず知らずのうちに真似て、身についたのであろう。

人の心に目をむける習慣のある人は、周りを幸せな気分にさせられる。
だから幼く柔らかい感性の持ち主である子供は、その影響を強く受け、Bのような目線を持つ人間に成長する。
若いときに誰に出会うか、というのは、こういう意味で、とても大切である。

では、成人してしまったACは、どうしたらいいのか?
心配しなくていい。子供ほどの柔らかさはもちえていないものの、影響は十分受けられる。
憧れの人を見つけて、その人の「なんか」がどういうことなのか、どういう目線から魅力的な行動が生まれているのか、を考えて真似してみることだ。

ゆっくりでもやっていけば、いつか板に付く。
いつまでも、とっさに出てくる一言が、見たまんま、というのは、あまりに幼い。
少しでも心に目を向けられるよう、日々努めていきたいものだ。