心の流れBlog

上手くいかなくて迷い込んだときの読みもの

楽器を習うのは、なんのため?

小さい頃、バイオリン・ピアノといった習い事の経験者はかなりいるのではないだろうか?

おそらくその大半が、小学校卒業までに嫌気が差し、練習を投げ出し、大人になった今では楽器と無縁の生活を送っていることだろう。

幼少の、まだ身体が上手く使えていない頃から始まる楽器操作。
当然何度も間違える。
それを見ている親から、こんな言葉を浴びせられた記憶は?

「なんでいつもここで間違えるの?」
「ちゃんと練習してないから、出来ないのよ」
「せっかく高いお金を出して買ったんだから、上手になってよね」
「こんなんじゃ、恥ずかしくて発表会を見に行けない」

罵倒、否定、恩着せ、脅し。
まるで子供が憎くて憎くて仕方が無いかのような、言葉のオンパレード。
親はきっと、ヘタな音楽を聞くのに、耐えきれないのだろう。

未熟な子供に何かを習得させる、ということは、その未熟さを包み込み、一緒に克服することを覚悟することでもある。
そこ、分かってない親が多い。

子供を責めるのは、演奏は子供の領分で親に出来ることはナシと決め込んでいるからだと思う。
人間、手の届かないところは、言葉でなんとか収めるしかないと思っている節がある。

しかし、だ。
手の届かないところという考えは正しいのか?
楽器を弾く子供の横に立って、一緒に間違えないようにする工夫を考えてやることは出来ないのか?
テンポを遅くしてやってみる、などの助言はできないか?
工夫次第でいくらでも、子供の手助けが出来る。

なのに、助けない、寄り添わない。全部子供のせいにする。
自分のせいにされた子供は、追い詰められ、奴隷のような気持ちで楽器に向き合う。
そんな状態長くは続かない。ちょっとしたことがきっかけであっさり辞めてしまうだろう。

楽器を習うのは、若ければ若いほどいいという。
そこは否定しない。
ただ、若干2~3才の子が、楽器を上手に演奏すると期待するのは、高望みだ。
間違ってもいいから、お母さんやお父さんと一緒に苦手を克服する大切さを経験し、言葉以外で感情を表出する手段としての演奏を手に入れることができれば、それで十分。
しばらくやって、才能のある子は、自らもっとやりたいというだろうし、そうでもない子は、別のことがしたいといいだすから。

世界に向けて好奇心の塊のような時期に、規制や縛りの中でビクビクしながら間違えずに演奏するのは、実にもったいない。いろんなものを吸収する大事な時期は、楽しい思い出でいっぱいにしてやって欲しい。
その思い出が自己肯定感を高め、未来の困難に立ち向かう強い自己を作る元になるから。