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心の流れBlog

心の守り方を真剣に考える

人はなぜ怒るのか?

広尾の泉谷クリニックに通っていた頃、泉谷先生に「腹が立つことはありますか?」と尋ねると、「学生時代、『泉谷は全然怒らないなぁ』と言われていた」と話されました。

その時は「へぇ~、やっぱり人間の格が違うのだな」と驚くに留まりましたが、今になってようやく怒りが湧かない理由を分かった気がします。


その理由とは
自分と相手を完全に切り分けているから
です。

怒りの大半は、自尊心を傷つけられたことが原因です。
理不尽な要求をされる、バカにされる、差別される、といった相手から粗暴に扱われていると感じるとき、「自分は価値ある存在だ!」と思う自尊心が痛めつけられたようで、怒りが湧いてきます。

怒りの奥には、自分は大切に扱われるべき存在なのにそうしないなど、なんたる無礼か!という思いがあるのです。

でも、考えてみて下さい。
相手が自分をどう見ようが自由です。
アホンダラと見るか、尊敬すべき相手だと見るか、そんなの、私たちにはコントロールできません。

それよりも、相手が言うことを鵜呑みにしてしまって、まるでそれが事実かのように受け取っている自分の方が問題です。
言い分には耳を貸すとして、それをそのまま受け取っている自分は、相手に正しく向き合っていると言えるでしょうか?

不愉快なことを言ってくる人間には二通りあって、一つはこちらの行いが悪く苦言を呈している場合、一つはあちらの考えに偏りがありすぎて暴言を吐いている場合、があります。もし後者だった場合は、完全なる言いがかりですから、受け取る必要は無いのです。

心の中で、「Aさんは○○と言っているけど、私は違う考え持っている」と捉えれば、どんな内容であろうとも、Aさんが○○と思い込んでいるに留まり、怒りどころか鼻で笑う余裕さえ生まれるのです。
そう、心の中でAさんの思っていることと、自分の考えが切り分けられるのです。

これが出来れば、怒りに振り回される頻度は激減するでしょう。
では、出来るようになるためには?

今までの考えを捨てましょう。

相手の考えの侵入を防ぐために、外の世界によって評価されることを当然とする自分を捨てるのです。
たぶん怒る人は、自分のアイデンティティーを他者にゆだねています。
「友達がいるから、自分はまともな人間だ。」「大学を出たから一般的知識はある」「社内で表彰されたから、成績優秀だ」「Bさんに、『頭良い!』と言われた」。
こういう評価を自分のアイデンティティーの基礎としている。

これはマズいです。
なぜって?他者の気持ち一つで、評価は反転するから。
他者次第でふらつくアイデンティティ-では、相手の侵入を容易に許しているのと同じ。
いつでも、どこでも入ってこられます。
そんな、相手に容易に入ってこられる自分に、言いがかりをつけられたときだけ都合良く「気持ちの盾」が作れますか?
無理でしょう。

ですから、何の根拠もなくとも、自分は自分だ!と信じることです。
おっちょこちょいのところも、どんくさいところも、自分だ!と思うこと。
自分が自分をいいやつ!と思えば、他者がどう思おうとも、へっちゃらです。

怒りの使い道は、本来次へ進む原動力なのです。
ですが暴言は、ただの貶め、言ってみれば相手の愚痴の掃きだめになるだけですから、何の原動力にもなりません。

そんなもんは、聞いた瞬間から、さっさと捨てて、怒るなんてもったいないエネルギーを使わなくてもいいように、賢く生きましょう。
怒るのは、相手の考えが自分に侵入するのを許しているから。
意識の上で、自分と相手をきっちり切り分けておけば、気持ちは安定します。