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心の流れBlog

心の守り方を考える

「大切にされないコンプレックス」

相手を思って行動しても、相手からはよく思われずスルーなんてこと、日常茶飯事。
そんなことでショックを受けるくらいなら、はじめから他者に関わるなと自分を戒めています。

そもそも相手は「私がどれだけの人間かを確認するツール」じゃないし。

なんかやんやで、認められたい VS いや、そのやりかたは間違いダロっ!
の往復です。

考えてみれば、親から大切に思っているよというメッセージを受け取ったことはありません。


勉強できるから、お掃除するから、愚痴を聞いてくれるから、あんたは(私の便利な)戦力として大切だよ
としか評されなかった。
一度だけ家族カウンセリングで「生まれてきたとき、本当に嬉しかった」といいやがったが、そのクセ何十年と○○してくれたことにしか、ありがとうと言わなかった。

たぶんあいつは、自分を着飾るための子供としての価値しか、私に見いださなかったのだ。

そんな風に扱われた子供は、「自分って○○しなくちゃ価値がないんだね」と思い詰めてしまう。
もし○○が奪われたら、それこそ一気にアイデンティティーの崩壊である。

私の場合は、○○が勉強で、その割に大して勉強できなかったので、しょっちゅう死にたいと思っていた。
だって親の教えに従うと、○○出来ない自分って無価値だから。
「死んで、お詫びします。ごめんなさい。」と子供心にマジ思ってた。

私の若き頃の写真は、笑顔いっぱい!というより、少しくすんだ自信のなさそうな張り付いた笑顔が多い。
この世に存在して、心から笑える日を感じたことがないから。
生きながらにして、死を願う子供。それが私。

当然晴れ舞台など、でたくもない。
無価値で死んで当然と思っている人間が、ドレスを着たり、脚光を浴びたりすることを受け入れられようか?
成人式も、結婚式もすべてパス。
着飾りたいより、無価値な自分におべべを着せる方がもったいないと思ってしまう。

セルフイメージがこんなだったから、他者からの扱いも、「いてもいなくてもいい空気のような存在」。
友達はいたけれど、なんとなく一緒に居ただけで、相手が私を指名して一緒に居るという状態ではなかった。

子供の頃は、孤立がこわい。
相手が余程嫌なヤツでなければ、身近な人とツルんで、脱独りぽっちしようとするのは、世の常。
ハブられはしなかったけど、一度も自分を好いてくれる人に出会えず心は寂しかった。

何十年とそんな生き方をしてきたので、大切にされないことにショックを受けるけど、またか~という気持ちもある。
そして、またか~を味わいたくないがために、誰にも接することなく、殻に閉じこもっている。

でも寂しくって、つい、外に出てみて、また傷つく。
そんな無為なループを繰り返している日常から抜けたい。

何が相手を大切にしようと思うトリガーなのかを分析して、表に出していきたいと思う。
ご意見があれば、是非「心の流れを整える」からコメントください。(500文字までです)