読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心の流れBlog

心の守り方を考える

つながりを求めているのに一人になろうとする

先日「疲れずに人と会うのは結構ハードル高いかも?!」というネタを書いた。
確かにそういう面が加速しているのは否めない。
と同時に、人とのつながりを求める気持ちも増えていっている。
相反する感情が錯綜するのはなぜだろう?

生まれた直後、人は誰かとつながることを強く求める。言い換えると世話されることを必要とする。

世話をするのは大概女性で、産んだ母だ。
母に護られすくすくと育つことができれば、上記のようなことにはならない。
なぜなら、その人は周りに求められる人になるから。
自分の周りに自然と人がやってきて、男女関わらず好意を寄せてくれて、話を聞いてくれる。
周りといることこそが心地よいとなり、人付き合いに大きな苦労はしない。

残念ながら母が護ってくれなかった場合、母との接触は母からの依存・八つ当たり・負の感情の押しつけを意味することとなり、苦しさのあまり一人になりたがる。
人付き合いのロールモデルを家庭内で見ることのない子は、必然的に学校というソーシャルな場においても苦しい人間関係しか築けず、人々の中で傷ついて一人の世界にこもる。
そうやって、人づきあいに疲れ切ってしまうのだ。

一人でこもる人間は、心から切望して一人きりになったのではなく、どんなにつながりを求めても、まともなつながりが出来ないから、最後消極的に一人を選んだに過ぎない。
従って、彼らは表だって「一人万歳!」といいながらも、裏で「寂しい」とぼやくのだ。
SNSで多くの人に囲まれて嬉しそうにしている友の写真を見て、”なんか楽しそう、オレ独りぽっち”と落ちこむ人はいても、”アイツ、人の中にいて気の毒に”と哀れむ人はいないことからも、それが分かる。

最近墓に対する考えが変わってきた。
先祖から受け継いだ命という考えは廃れ、心の拠り所に家族や先祖を求める人が減っている。その影響で荒れた墓が増えた。
人々のつながりの基本である家族でさえも、もはや維持が難しいほど人々は繋がれなくなっている。

これが今の日本の人と人との現実なのだ。
ハリネズミのジレンマ。
傷ついたから自分を護るためにハリを手に入れた。
そのハリ。回り回って自分を孤独というハリで刺してる。
正すのは、最初になぜハリを手に入れようとしたか?ではないか。

まだ上手く表現できないけど、こういう場合は元を辿ってこんがらがっている糸をほどけば、案外すっきり解決できるのかもしれないね!