心の流れBlog

心の守り方を考える

がめつい人が最後まで結婚できない

年収○○身長△△大卒でほにゃららな私に(結婚の)需要はありますでしょうか?
という質問。
なんだか違和感を覚えます。

まるでこの条件さえ満たしていれば、どの人にもOKをもらえるかのよう。

婚活の場合、将来の生活を見据えてですから、なんでもござれとは行きません。

それなりに条件はつくでしょう。
しかし、最終的に人と人とのつながりに収束するのですから、その人の人間的な魅力がものをいうのです。

条件さえ満たしていれば受け入れられると思っている人は、ちょっとでも相手が拒否的態度を示すと、(えぇ~、受け入れられているハズなのに、なんて態度なんだ!と)怒るのです。そして受け入れてくれてるんだからと都合の良い妄想をして、あれもしてくれるハズ、これもしてくれるハズと勝手に相手の理想像を作り上げて、要求の塊のように突っ走ります。

お相手はどこかでそのハードルと高さに息切れを起こし、(そこまでアナタのこと好きじゃないし、と)フェードアウトします。

典型的なのが、SNSによるやりとりです。
すぐに返事を求める人は「もらうことが前提の人」。
相手はアナタと同じ頻度でやりとりをしたいと望んでいるかは未知数です。

妙齢までお相手が見つからない方は少なからずこの前提がくっついてきていると思います。
特に女性。

結婚していない理由のトップが「適切なお相手に出会えなかった」であることから、普通に暮らしていれば神様が適切なお相手に逢わせてくれ、その人と恋が出来る(つまり自分はもらう側)ことが前提となっているのが分かります。

そういう人が婚活を始めて、知人・友人に紹介を頼んだ場合、紹介されるのは当たり前、結婚紹介所に登録すると、(自分の理想とする人を)お見合いの場に連れてこられるが当たり前になってしまって、どことなく横柄な雰囲気が滲み出ます。
それを察知した周りは、協力や応援をする気が失せ、残念ながらその人は成果を残せないままとなります。

仮に運良くどなたかに出会えても、相手との間のやりとりが、相手→やる人、自分→もらう人という構図を取ろうとするが故に、相手に愛想を尽かされて、二人の関係は終わります。

つまりは、もらうということの前提を外さない限り、自分が誰かと深く付き合っていくことはできないのです。

非婚主義者と結婚できない独身者の違いは、今の状態を積極的に手元にたぐり寄せたかどうかです。
非婚主義者の人は、堂々と結婚していないことを認めているので、周りが気持ちよく感じる。
結婚できなかった人は、いつまでもぐじぐじと同じ所を回っているので、腫れ物に触るようで始末が悪い。

結婚というのは単にその時のステートに過ぎません。
そのステートにあまり振り回されないように、自身の内面にフォーカスして行くべき道を進んでいくとき、それを見ていた周りが自然とアナタに振り向くだろうと思います。

「自分、自分」とクレクレ星人の様相を呈している人には、間違っても幸福はもたらされません。